小説 色の無い街と夢の記憶 ③

小説 色のない街と夢の記憶

バスを降りた後、田んぼの畦道を歩いた。
子供の頃、犬の散歩をするのにこの辺りを歩いた覚えがある。
おじいちゃんかおばあちゃんの、どちらかと一緒に行った。
ずいぶん大きな犬だったような記憶があるけれど、自分が小さかったからそう思うのかもしれない。
山に囲まれた村落のようなこの場所。茅葺き屋根の家も沢山見られる。
やっぱり夢で見たのと同じだ。記憶の中にあったから、夢にも出てきたのかと思う。
両サイドが田んぼや畑で、その真ん中に一応アスファルトの道はあるけれど道幅はあまり広くない。車はたまに通る程度。
街中では当たり前の渋滞なんかとは、まるで無縁の世界。空気もすごく澄んでいる感じ。
ここにきてからそういえば、無意識に深呼吸してる。

あれ?もしかして向こうから来る人って・・・まだ遠くていまいちはっきり見えないけど、おばあちゃんかもしれない。
あの頃の記憶では、毎日朝と夕方に、おじいちゃんかおばあちゃんのどちらかが犬の散歩をしていた。散歩してたのは白い犬だったけど、今も、向こうから歩いてくるおばさんが連れているのは白い犬。
私は少し足を早めて近づいていった。あの人がおばあちゃんじゃなくても、犬の散歩してるならこの辺りの人だと思うし、おばあちゃんの家がどこか聞けるかもしれない。

近づいてからよく見ると、間違いない。おばあちゃんだ。最後にここに来たのはたしか小学校に上がる直前ぐらいだろから、十年くらい前。おばあちゃんは、白髪が増えたくらいで顔はほとんど変わっていないからすぐに分かった。
白い犬はもう年寄りなのか、ゆっくりゆっくり歩いている。
「こんにちは!」
私は声をかけた。こういう田舎では、知らない人とすれ違っても挨拶をすることが多い。「こんにちは」
おばあちゃんも気がついて、こっちを見て挨拶を返してくれた。けど、私だとは多分わかっていない。十年前は五歳だったのだし、わからなくて当然かも。
連れている犬の方が、ゆるゆると尻尾を振ってくれた。
「おばあちゃん!私。覚えてる?」
「ん?誰やったかいな」
「美月。覚えてないい?」
「ああ!美月ちゃんか。大きなったなあ。皆んなでこっち来てんの?」
「ううん。違う。私だけで来たんだけど。連絡先知らなかったから急に来てごめん」
「うちは全然大丈夫やけど。もうちょっとしたら昼やし、とりあえずうち来るか?」
「ありがとう!けっこうお腹空いてて」
「帰りに野菜取っていこか」
「今は何作ってんの?トマトとかキュウリとか?ずっと前に来た時、取ってくれて畑で食べたの覚えてるよ」
「ほんまに小さい頃の事やのに、けっこう覚えてんねんなあ」
おばあちゃんはそう言って嬉しそうに笑った。

夕食は、台所に置いてあるテーブルで、大皿に乗せた料理を皆んな好きなだけ取る。おじいちゃんとおばあちゃんはビールを飲んでいて、私には麦茶を入れてくれた。
大皿から直箸で食べ物を取って、ご飯にのせて口に運ぶ。どれもめちゃくちゃ美味しい。思わず何度も「美味しい!」と言いながら食べたけど、本当に美味しいんだから嘘じゃない。畑から取ってきたトマトとキュウリが、適当に切って大皿に盛り付けられていて、その隣には同じ大皿に入った卵焼きとマカロニサラダ。もう一つの大皿には、焼いた鯖と肉野菜炒め。あとは三人それぞれに、ご飯と味噌汁、お茶が並んでいる。
ちゃぶ台の下の床では、シロが人間と同じご飯を食べている。シロはもう十二歳だそうで、だから歩くのもゆっくりなんだなと思った。それでも、私が前に来た時から十年経ってるのに、まだ元気で生きていてくれたのが嬉しい。前に見た時の記憶では、元気いっぱいに走り回るやんちゃな犬だった気がする。前よりずいぶん小さくなった気がするのは多分、自分が大きくなったからだと思う。
おじいちゃんも、髪が真っ白になった以外はそれほど見た目が変わってなくて、今もすごく元気だった。前に来た時はおじいちゃんもおばあちゃんもまだ還暦前で、老人と言うにはまだ若かったんだなとその頃を思い出す。その頃は自分も小さかったからか、それくらいの年の人を見ても相当に年老いたおじいちゃんおばあちゃんに見えていたけど。
今はもうすぐ七十になるというけど、まだ畑も田んぼもやっているし、二人とも車の運転もする。野菜を売りに行ったりもするらしい。

一人で来た事に関しては、しつこくは聞かれなかったから助かった。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも全員元気だということだけ伝えた。忙しくて皆んななかなか来れないけど、私は急になんか行きたくなって、他の誰も行かないなら一人で行ってみようと思い立ったと言うと、それですんなり納得してくれた。
部屋も空いているし、好きなだけ泊まっていけと言ってくれる。今年は楽しい夏休みになりそう。
ここの台所は土間で、日が入らないから夏でもひんやりとして涼しい。
お風呂は外から沸かす形のもので、湯船の上に浮いている木製の蓋を踏み、沈めた蓋の上に乗るようにして入る。今ではどこへ行ってもほとんど見られない形の物だけど、私は小さい頃このお風呂に入った事を何となく覚えていた。
泊めてもらう部屋も畳の部屋で、漆喰の壁、窓には障子と雨戸があって、向こうの部屋との間は襖で仕切られている。
ずっと前に、ここに泊まった時の事も思い出した。すごく懐かしい。
皆んなマンションが好きだと言うけど、私はこういう家が好きだから、いつか自分が住むならこんな家がいいと思う。
夏はずっと扇風機だけで過ごしてきたけど、ちょうど十年くらい前に、さすがに暑すぎてエアコンを買ったということだった。今の夏の暑さは、昔とはどうも違うらしい。

夕食の後は洗い物を手伝って、その間におばあちゃんがスイカを切ってくれた。さっきまで井戸水で冷やしていたというスイカは、よく冷えていて美味しかった。
「そういえばここの家ってテレビ無いの?」
「あっても観るヒマ無いしないなぁ」
ふぅーっとタバコをふかしながら、おじいちゃんが言った。
「特に見たいもんも無いし要らんわ」
おばあちゃんもそう言う。たしかにそうだよなあ。テレビって、別に生活に絶対必要な物じゃないと思う。テレビのニュースで言っていることが全部本当かというと、かなりあやしいと思うところも多いから。情報としてあまりアテにできるもんじゃないと思う。
私も部屋にテレビは無いけど何も困らない。
「新聞とかも取ってないの?」
「それも要らんわ。ほんまのこと書いてるかどうか分からんしなあ」
「わしらの生活に関係ないことしか書いてないしなあ」
二人とも、そんな事を言って笑っている。たしかに、そうなのかもしれない。
来た時からずっと思ってるけどここはすごく平和で、今私が生きている世界とはまるで違うように感じる。同じ日本なのに。監視カメラも見当たらないし、自動運転の車も走っていないし、家の中にロボットも置いてないし・・・

「こっちでは色んな事が起きてるけど、おじいちゃんもおばあちゃんも、もしかして全然聞いてない?聞いてなくても困ってなさそうだからいいのかもしれないけど」
「へぇー、わしらの暮らしは何も変わらんけど、ここ何年かでなんか変わったことあったんかいな?」
「前に私がここに来たのって五歳の時だけど、それから小学校へあがってしばらくした時に、新型コロナっていうのが流行って大変だったんだよ」
「なんじゃいなそれ?」
おじいちゃんは知らないらしい。
「私も知らんわ。こっちではそんなん聞かんかったけどなぁ。コロナて何や、たしかビールでそんな名前のあったなあ」
おばあちゃんも知らないらしい。
「ビールは何でも美味いし名前あんまり気にしてへんかったけど、それって前からあるやつ違うんか?」
「そやったかなあ。それが流行っとったんは都会だけか?」
「何でそのビールが流行ったら大変なんや?」
「ビールじゃないよ」
「そうか。そういうたらうちでつことるストーブ、たしかコロナストーブ違うかったか?」
「そやそや。それのことか」
「ストーブでもないよ」
「なんや違うんかいな。車かなんかか?」
「新しい菓子か?」
「そんないい物じゃなくて感染症。だから大変だったんだよ」
「そうやったんか。カンセンショウ・・・?感染症か。なんや病気みたいなやつか」
「こっちでは誰もそんなこと言うてなかったなあ。私らも知らんけど、なんかそっちでは大変やったんか?」
「毎日テレビで、感染者何人出ましたとかやってたし」
「そうなんか。全然知らんかったなあ」
「知らんかってもまあ困らんかったけどなあ。こっちではなんも変わらへんし」
おじいちゃんもおばあちゃんも、本当に知らなかったらしい。
テーブルの下では、お腹いっぱいになったらしいシロが仰向けになって、イビキをかいて寝ている。ここには本当に、まったりした平和な空気が漂っている。

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