最果ての地にて愛をつなぐ ⑨

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

第6章 すぐ近くにあってとても遠い世界 続き

オリジナル小説の9記事目です。
これまでの話
2019年、主人公の梢は社会人二年目。
コロナ騒動が始まって街の様子は変わってしまい、
勤めていたカフェも以前より暇になってしまった。
迷惑はかけられないと思って辞めて無職に。
時間だけは出来たので久しぶりに一人旅に出る。
今回の内容は・・・
何処へ行っても感染対策の異様な雰囲気からは
逃れられないのかと諦めかけた頃、
他とはどうも雰囲気の違う店を見つける。
ここでは驚く事ばかりだった。

このカフェの客で、民宿の経営者がいた。
泊まれるならその予定で出かけてきていた梢は、
そこに泊まる事に決めた。
ここもまた、さっきにカフェと同じで、
今の世の中の様子とは色々と違っていた。

部屋に荷物を置いてから、まだ時間も早いので
梢は外を散策しようと出かけた。

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下調べをした時に確認した通り、ここは海浜公園になっていた。
例年ならもう少し賑わっているのかもしれないが、この状況なので人の姿はまばらだった。
公園内にある店も閉まっている所が多い。
通勤の人が多い駅近くでマスクをした人々の集団に揉まれるよりは、人の姿が滅多に見られないくらいの方が心が落ち着くと梢は感じた。
一番暑い時間帯なのもあり、ここまで歩いてきただけでかなり汗をかいた。
自動販売機を見つけてアイスコーヒーを買い、木陰を選んでベンチに座る。
木陰にいると強すぎる日差しは遮られ、海から来る潮風が心地よかった。

梢は泳ぐのはあまり得意ではないけれど、海の景色を眺めるのがとても好きだった。
ここの景色は、子供の頃育った高い山に囲まれた村の景色とも、低い山が連なる京都の景色ともまた違う。
視界を遮るものが無く遠くまで広がる景色を眺めるのは、何とも言えない解放感があった。
ゆっくりとコーヒーを飲みながら、周りの景色を楽しみ、公園にいる鳩達を見る。
鳩も一羽ずつ微妙に模様が違うんだなと思いながら、観察しているとなかなか面白かった。
少し離れたところには、猫が歩いているのも見える。

しばらくゆっくりした後、せっかくだからこの辺りの写真を撮ろうと思って梢は立ち上がった。
鞄の中からスマホを取り出す。さっき民宿の部屋で少し充電してきたからまだ大丈夫そうだ。
撮りたい場所を探しながら海岸の方に向かって歩いていくと、木陰のベンチに座って休んでいる若い男性の姿が目に入った。
元々かなり人が少ないので、一人誰か見かけるたびに(あ、人が居た)という感じで視線がいく。
相手にとってもそれは同じのようで、男性の方も梢に視線を向けた。
どちらからともなく自然に笑顔になって、軽く頭を下げて「こんにちは」と挨拶を交わした。
世の中の状況が今のようになってから、マスクをしていない人というのがとにかく珍しい。
この男性がノーマスクだったことから、普段は人見知りなところがある梢でも、何となく同士という気がして平気で挨拶することができた。
ただでさえ人が少ないところで、自分と近い考えなのかもしれないと思える人に会えるのは本当に嬉しい。
相手にとってもそうだったようで、気さくに話しかけてくれた。
「暑いですね。旅行ですか?」
「そうなんです。今日からなんですけどこの近くの民宿に泊まるんです」
男性は、大きくて綺麗な目が印象的な整った顔立ちで、男の人としては少し小柄でスラリとした体型。
梢よりはいくらか年上に見えた。少し前までカフェで一緒に働いていた唯さんくらいの年齢かなと梢は思った。
イケメンが目の前に現れて緊張しなくもなかったが、男性の言葉のアクセントは梢と同じ関西弁で、何となく親しみが持てた。
(この辺りの人なのかな)
「僕も旅行でこの近くの民宿に居るんですけど、もう1週間目なんですよね」
「そうなんですね。なんかこの辺りってホッとするって言うか、いい感じですよね。私も今のところ二泊の予定なんですけど、もうちょっと伸ばしたいかなあって思ってました」

話している中で、泊まっている民宿が同じところだったという事が分かった。
ほとんどの旅館や民宿が休業してしまっている中、開いているところ自体少ないので、考えてみればそれほど凄い偶然というわけでもなかった。
民宿の風呂が、銭湯ほど広くもないが半分が露天風呂になっていてすごく素敵だという事、食事が素晴らしく美味しいということ、スタッフも泊まっている人も気さくでいい感じの人ばかりだということを聞いて、梢は今日の夕方が待ち遠しくなった。
ここに数日もいると、世の中の状況が今どうなっているかなど気がついたら忘れている感じだと彼は語った。
梢は1日目で既にそれを感じていたので、早くも宿泊日数を延ばそうかと考え始めた。
宿泊先が同じということもあって初対面なのに話が弾み、20分くらい話し込んでから、男性は部屋に帰るということで「また後で」と言って先に帰って行った。
梢は海岸線をゆっくり歩き、好きな場所の写真を撮って木陰があれば座って少し休み、また歩いて、見知らぬ土地の散策を思う存分楽しんだ。
思い出したようにスマホで時刻を確認してみると夕方の4時を過ぎている。外は少しだけ涼しくなってきた。
風呂を予約してきた時間には戻らないといけないし、今からゆっくり帰ればちょうどいい頃かと思う。海岸線に沿って歩いたので道に迷う心配もなく、梢は景色を楽しみながらゆっくり引き返して民宿へ向かった。


今日会った男性に聞いていた通り、ここのお風呂はとても素敵だった。
昔ながらの銭湯のような造りのお風呂で、床と壁のタイルは綺麗に磨かれている。
少し縦長な浴室内に浴槽は手前と奥に二つあり、一人で入るには贅沢な広さだった。
ここを貸し切りで一時間使えるのだから嬉しい。
梢はシャワーで体を洗った後、手前の浴槽に浸かってゆっくりと体を伸ばした。
バスソルト入りで、ペパーミントの精油が少し入っていると書いてある。
暑い日に外を歩き、ほてった体に心地良い爽快感は最高だった。
ちょっと大袈裟だが、生きてて良かったと思わせてくれる至福感がある。
手前側半分は屋根付きで、植物の透かし柄が入った透明な仕切りのビニールカーテンを引き開けると、奥にもう一つの浴槽がある。
こちらは手前の浴槽より小さめの石造りの風呂で、丸い形の浴槽。
高めの壁に囲まれているけれど、壁の柄が森林を思わせる色合いで浴槽の周りに色々な観葉植物が置いてあるため、まるで外にいるような雰囲気を味わえる。
2メートル四方ほどの天井は開いていた。今は日が長い夏の季節なので夕方でも外はまだ明るく、浴槽に浸かって見上げると青空が広がっているのが見える。夕方の時間帯なので、これから少しずつ太陽が西に傾いていく。空の色の変化を眺めながら、もうそろそろ1時間近く経ったかなあと見当をつける。
梢の頭の上くらいの高さの窓も開いていて、外からの風が気持ちよく抜けていく。
浴槽のヘリの平たい石の上に頭をのせて真上を見上げていると、何とも不思議な感覚が心地よかった。

後少しだけ遅ければ露天風呂から美しい夕焼けが見られただろうし、夜になれば満天の星が見られるかもしれない。明日は少し遅めの時間に風呂に入ってみようと梢は思った。
大満足で風呂から上がると、脱衣場も一人にしては十分に広く、天井近くに取り付けられた扇風機の風が気持ちよかった。
この感じも、昔ながらの銭湯を思わせる。
京都にはまだそういう銭湯がけっこう残っていて、梢は時々行っていた。
自分のマンションのユニットバスでシャワーだけの時と違って、体が芯から温まる感覚が好きだった。

風呂場のすぐ外には宿泊客用のコインランドリーもあって、風呂に入る前に洗濯物を放り込んでおくと、ちょうど上がった頃には乾燥まで終わっている。
これもまた、特に連泊の人には嬉しいサービスだった。着替えを多く持って来なくても滞在できる。
ドライイヤーで髪を乾かして新しいTシャツとスカートに着替えた梢は、そのまま夕食の場所に向かった。風呂で1時間くらいは過ごした気がしたので、だいたい6時くらいかなと思う。もし早ければ待ってればいいかと、ここにいると全てがてきとうで大丈夫という気がしてくる。
食堂になっているスタッフ住居側の一階は、食事の時間になると庭に面した窓やドアが全部開けられている。
外の景色を楽しみながら食事ができるという事だ。
夕方になって少し涼しくなり、風が心地よかった。
入口近くの外には、これまた昔懐かしい感じの陶器で出来た豚の蚊取り線香入れが置かれている。
天然素材の除虫菊で出来た蚊取り線香の、柔らかく自然な香りと立ち上る煙が夏を思わせた。
外にもテーブルが一つ置かれていて、外の方が気持ち良ければ料理の皿を持って行って外で食べる事も出来る。
一応扉はあるものの、室内と外が一つにつながっているように感じられる。
寒くなくて天気のいい日はいつもこうなのだと、そういえば聞いた気がすると梢は思い出した。
低めの天井から食卓の上に下がった電球と、部屋の四隅の床に置かれた間接照明の柔らかい灯りが室内を照らしている。
今はまだ外が明るいが、夜になるとこれが幻想的な雰囲気を醸し出す。
室内は、12畳ほどの広さの部屋の真ん中に木製の大きなテーブルが置かれていて、テーブルの真ん中には瓶の水にさした素朴な草花が飾られている。
今日ここで食事をするのは梢と後二人で、他の人達は部屋で食べるらしい。
一泊だけの宿泊客があれからまた二人増えて、今は満室になっていた。
梢は散歩から戻った時他の客とすれ違ったが、皆笑顔で挨拶をしてくれる感じのいい人ばかりだった。
ここでは、最初に部屋に入る時はもちろん食堂に入る時も、検温だの消毒だの気持の悪い「お願い」は一切無い。
消毒液の入れ物すら置いていなかった。スタッフでも宿泊客でも、マスクを着用している人など一人もいない。
一番乗りだった梢が好きな席に座ってくつろいでいるうちに、新鮮な野菜や魚を使った料理が次々とテーブルの上に並べられていった。

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