最果ての地にて愛をつなぐ ④

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

架空の物語4記事目です。 

物語の内容
コロナ騒動がきっかけでで仕事を辞めた若い女性が主人公の物語。
主人公の梢は19歳で社会人2年目。
今の世の中の状況に疑問を持ちながら、
堂々と言えるほどの勇気はない。
その状況から自分の感覚に従って行動し、一人旅をきっかけに
世間の状況とは違う生き方をする人々との出会っていく。
そこからの影響も受けながら自分の生き方を見つけていく。

小説本文はこちらからです。

回想 2020年春 異変

コロナ騒動が始まったのは、その冬の事だった。
年末年始、テレビでその話題が出始めた。
その頃はまだ、長くても二ヵ月か三ヶ月経てば収まるものと思って気にしていなかった。
ところがその後に出された緊急事態宣言。
騒ぎが収まるどころか、急激に加速していった。
春になり鴨川沿いは美しい桜が満開で、例年通りなら京都を訪れる人も増える頃。
それが今年の春は、毎年観光客でにぎわっていた京都の街から人の姿が消えた。

梢は、京阪三条駅に近いアパートから自転車で仕事に通っていた。
カフェのある場所は五条河原町から少し東に入ったところなので、途中街の様子を見ながらゆっくり自転車で走る。
走りながら、去年との違いを肌で感じていた。

梢が家を出るのは朝の9時半過ぎで、通勤の人が最も多い時間からは外れている。
この時間帯は、通勤の人よりも京都に観光に来ている人の方が多く見られる。
カフェに勤め始めた頃は、真夏の暑い時期だったにも関わらず観光客は多かった。

7月には毎年、京都で最大の祭りである祇園祭が開催される。
この時の人の多さ、熱気、賑わいは凄かった。
特に山鉾巡行の前日、宵山では最高の盛り上がりを見せる。
梢も去年は、仕事が終わってから祭りを見に行った。
賑やかで華やかな祭りの雰囲気を存分に味わい、気分は高揚した。

8月のお盆にはカフェのお客さんに招いてもらい、マンションの屋上から五山の送り火を見た。
山に浮かび上がる炎の文字は幻想的で、消えるまで飽きずに眺めた。
夏が過ぎれば紅葉の美しい秋の観光シーズン。
この頃観光客の多さはピークを迎え、冬の寒い時期になってもまだかなり人は多い。

そして春にもまた観光シーズンを迎えるので、カフェのメニューも春に向けて皆で新しい物を考えていた。
常連のお客様も交えての、花見の計画もあった。

(まさかこんな事になるなんて・・・・・・)
今年の春も来年の春も同じように訪れるものと、梢は信じていた。
ところが今は、街に人の姿が見られない。
あんなに多かった観光客の姿が消え、街は死んだようにガランとしている。

仕事に行く人は相変わらずで、通勤の満員電車もそのままらしい。
それなのにどうしてと梢は思う。
3月頃から、カフェに来るお客さんの数は目に見えて減っていった。
予定していた花見も、その他のイベントも全て中止になった。
それでも最初のうちは、今までずっと忙しくて出来なかった細かい所をこの機会にと掃除するなど、何かとやる事はあった。

4月に入ると、店を開けていてもあまりにも人が来なくて早めに閉める事が多くなってきた。
梢があがる時間前には、もう閉店準備に入るという日が続いた。
テレビでは毎日「今日の感染者数は・・・・・・」という話題ばかり。
何処どこで感染者が出たというニュースが延々と流れている。
(インフルエンザと同じで新型コロナも暖かくなれば感染減るのでは?)と思っていた希望的観測も、4月になって完全に打ち砕かれた。

周りでは、暇すぎて休業する店が増えてきた。
そしてとどめを刺すような緊急事態宣言。
相変わらず観光客が来ないだけでなく、地元の人達までコロナを恐れて外出しなくなった。
(街が死んでしまった)
去年までのあの賑わいを知っている梢は、この状況を見るたび胸が痛んだ。
それでも自分はまだ京都に来て間もない。
長年京都に住んでここで商売をしているマスターとママ、唯さんは今どんな気持ちでいるのかと思うともっと辛くなった。
クビだとは言われていないけれど、この状況で自分がここでいつまでも働いているのも悪いような気がしてくる。
そして状況は変わらないまま5月になった。

唯さんがここの仕事を辞めて、これからよそで就職する。
その話を聞いたのもこの頃だった。
高校を出てからずっとこの店で働いてきて十年以上になるので、これを機会によそで働いてみるのもいいかなと思ったと、唯さんは淡々と話した。
言葉だけ聞いていると何でもない事のように聞こえたが、梢には唯さんの本音が分かった。
去年の夏から一緒に仕事をしてきて、唯さんがこの店に愛着を持っている事がいつも伝わってきたから。
家族の会話の中でも店の将来の話が出ることがあって、梢も聞いていた。
マスターとママがゼロから作り上げたこの店を、唯さんが継ぎたいと話していたことがあった。
(唯さんはここの仕事を、本当は辞めたくないのだろう)
梢の思っている事が顔に出ていたからか、唯さんは努めて明るく話した。
「そんな顔せんといて。この世の終わりやないんやし。また普通に戻ったら、私も店に戻るわ」
(普通に戻ったら・・・・・・)
そんな日が本当に来るのか?
今の街の様子を見ていると疑わしいと、梢は思った。

マスターとママは年齢の割には、オンラインでの商売に関してもよく知っていた。
二人ともSNSもやっている。
店にほとんどお客さんが来なくなった時、店に置いている品物やお菓子を通販で売り始めた。
梢もその梱包や発送、SNSでの宣伝などを手伝っていた。
コロナ騒動以前と比べると半分以下に減ってしまったとはいえ、店にもお客さんがゼロではなかったので毎日店を開けて営業も続けていた。

周りでは、店の前に目立つ看板を出して「感染対策万全です」をアピールしているところが多かった。
お客様に対しても「マスクの着用、検温、手指のアルコール消毒 ご協力お願いします」と、でかでかと書いて貼っている店が多い。
営業時間を短縮したり、休業したり、言われている感染対策に従えば補助金をもらえたりもするらしい。
このカフェではそういう事は一切せず、すべてがそのままだった。
梢にもそれが本当に嬉しく居心地が良かった。
この店では、店の雰囲気もサービスの一つという考え方だ。

梢も、コロナ騒動以降よく見かけるようになったメニューの看板より大きな感染対策看板を見ると、違和感しか湧いてこなかった。
店の最大の売りが、メニューでも接客でも雰囲気でもなく、感染対策だと言っているように見える。
梢は、最初の職場を辞めたのは正解で、この店に来て本当に良かったと思っていた。
百貨店でどういう決まり事が増えているかネットを通じて知っていたので、そこに居たらとても我慢できそうにないと思った。



梢は、一人暮らしを始めた時に部屋が狭いのでテレビは置いていなかった。
仕事場でも、ここの家族は誰もテレビを観ない。
観たいものがあればYouTubeで、好きな番組を観る習慣のようだった。
梢も自然とそれに習うようになり、テレビを観たいという気にならなくなっていた。
そのせいも大きかったのか、コロナ騒動には最初から違和感があった。

たまにYouTubeで、目立つところに上がってくるテレビの放送内容を見る事があると、街中で人が沢山倒れていて病院はパニック、死体の山という地獄絵図。
海外でのそういう状況を流している。
それと同時に、日本では今日感染者が何人増えました!と繰り返し流す。
感染対策を頑張らなければ日本は大変な事になるとか、このままでは数十万人死者が出ると、専門家を名乗る人が言っている。
実際それでどうなっているかというと、5月になっても街中で人がバタバタと倒れていく様子はなく、救急車が街を走り回ることもなかった。

自分の周りで誰か重症になって苦しんでいるとか、亡くなったということは聞かない。
それでも検査を受けて結果が陽性になれば、何の症状も無くても感染者ということで隔離されるらしい。
元々体の丈夫さには自信があったので、病院にも検査にも近寄らないでおこうと梢は思った。
「無症状感染」とか、それが一番怖いとか、どう考えても意味不明としか思えない。
けれど世の中では、危険な感染症が大流行しているという雰囲気だけがどんどん広がっていた。
マスクを着用していないと周りから白い目で見られるという事が、今では当たり前になっている。

飲食店でも物販の店でも入り口には消毒液が置かれ、レジの前や座席テーブルにアクリル板が置かれ、ビニールの仕切りがぶら下がった。
三密を避けなければと言って、店内のレイアウトを変えて座席の間隔をあけるか席をいくつか潰すのが普通になった。
満席での売り上げで毎月の収入を得ていた側からすると、とんでもない話だ。
元々そんなに広くない店では、間隔をあける事がそもそも不可能だった。
かといって座席やレジの間すべてにビニールやアクリル板を設置すれば、異様な雰囲気と圧迫感が出てしまう。

この店の中では、去年からずっと何も変わらない。
ただテレビの中の世界では、梢が今までに見た事も無いような大きな異変が起きていた。

続きはこちらです。


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