最果ての地にて愛をつなぐ⑯ 第11章 2021年3月

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

丸い社会への移行をイメージして書いています。
コロナ騒動が始まってから変わってしまった世の中。
そこからそっと離れる方向で生きている人達の、日常の物語。

第11章 2021年3月

季節は春になった。
この辺りでも2月は一番寒いはずなのだが、京都の冬に比べると寒いうちに入らないというのが、住んでみてよく分かった。
雪が降る事も道が凍る事も一度もなく、寒いのが苦手な梢は、いよいよこの地域が好きになった。
皆に聞いたところ、毎年冬の寒さはこの程度らしい。
3月に入ってからは、さらに暖かくなってきて菜の花や桃の花が見られるようになった。
春になると咲く花も多くなる。地域の人から、自宅の庭に咲いた花をもらったりして、食堂のテーブルに飾るとすっかり春の雰囲気になる
寒さが気にならなくなってきたので、動物たちは昼間よく外で寝ている。
この地域の動物たちは全部放し飼いだけれど、あまり遠くには行かない。
行動範囲がちゃんと決まっているらしい。

民宿の今日の仕事が終わり、梢と健太が食堂で遅めの夕食を取っていた。
「高校出た時すぐ行っといたら良かった。まあ時間もなかったししゃあないけど」
「惜しかったけど無くても何とかなるやろ。今のとこ」
「生活には困らへんし。まあええか」
今話しているのは、運転免許の事だった。
今は教習所でも感染対策万全で、マスク着用、検温、手指の消毒などが当たり前になっている。
それを考えると梢は、免許が欲しい願望よりも、そういう所に行きたくないと思う方が強かった。
健太も梢と同じ考えなので、もし自分がこれから免許を取りに行くとしたら、今の状況なら行かない方を選ぶと言った。
「ここにおったらそういう事忘れてるけど、こういう時思い出すよな」
「ほんまに嫌になるわ。普段は何も困ってないしええけど」

この時間になると外はまだ少しだけ寒い。
夕食の後は、洗い物を済ませて今日もらった野菜や魚を箱に入れたり冷蔵庫に入れる。
鍵を閉める前に、扉の外に動物の気配を感じるときは開けて見る。
今日は、外には通いの犬、猫が来ていて、少し離れたところにはいつもの狐が二匹来ていた。
残り物であげられる物を持って外に出ると、動物たちがぞろぞろと集まってきた。



梢は、健太とはいつの間にか一番よく一緒にいるようになって距離が近くなり、気が付いたら付き合っていると言える関係になっていた。
いつから付き合ったかと聞かれると、どちらもよく覚えていない。
付き合ったからといって、結婚がどうとかいう話にはならない。
ただ、お互いに一緒に居たいと思うから一緒にいる。
いつまでも続くだろうかとか、約束や契約が無いと不安とか、そういう考えの人はこの地域にはいない。
一生変わらないのがいい事で、そうではない事が悪い事という考えもない。
今、一緒に居たい人と一緒にいる。それは恋愛に限らずどんな人間関係でも同じだった。
いつ終わってもそれはそれと思っていると、なぜか反対にけっこう長く平和に続いている人が多かった。

ここでは皆がそんな感じで、家柄がどうとか跡継ぎがどうとか家系がどうとかいう考え方も全く無い。
夫婦なのか違うのか分からない人達が沢山いても、男性同士女性同士のカップルがいても、人の事は誰もごちゃごちゃ言わない。
恋愛にはあまり興味が無く、ゆっくりと一人を楽しむ人もいる。
どんな生き方もありで、ここでは何もかもが自由。人目を気にする必要が全くない。
これは恋愛や結婚に関してだけでなく、生活の全てにおいてそうだった。
人に対して余計な干渉はしない。
付き合っていても一緒に住んでいても、お互いに相手に対して「この人は自分のものだ」という考えを持たない。
なので、一般的によく見られる、恋愛がらみの修羅場はここでは見られない。
家族間や近所や会社での人間関係の、泥沼の争いとも無縁だった。
争いのほとんどは、執着、所有欲、依存、干渉から始まる。
それが無いとなると、争いも起きようがなかった。
「自由だと治安が悪くなる」と言う説は間違っていたかもしれないと、ここに来れば誰もが思う。

外から見ると、ここでの人と人との関係は、かなりあっさりしていてドライにも見える。
一人一人が自分の好きな事だけをして楽しく生きているので、他の人の事がやたらと気になったり執着心を燃やすという事も無い。
それでもここで繋がりを持っている人の人数は百人未満なので、皆お互いの顔も住んでいる場所も仕事も知っている。
近所で誰かの姿が見えないと、
「あの人ここ数日見かけないけど元気かな」
という感じで気になって訪ねて行くという事もある。
誰かが怪我や病気で具合が悪ければ、他の誰かが差し入れをしたり買い物に行ってあげるというのも、ここでは普通の事だった。
病気と言っても風邪で2~3日具合が悪くなる程度で、重い病気の人や持病があって病院通いをする人、介護を必要とする人などはこの地域にはいなかった。
ストレスが無く、いつも目の前に自分の好きな事やりたい事があると、人間は大抵元気でいられるらしい。


ここの民宿では特に休日でなくても、1日の中で1人ずつ交代で休みを取って外に出かける事も出来た。
その日の状況にもよるが、日によっては3時間くらいまとまった休みが取れる。
梢は、今日は昼食の後休みが取れたので外に出てきた。
雨の日なら部屋で本や漫画を読むか、好きなユーチューブの番組でも見るところだけれど、天気のいい日は出かけないともったいない気がする。
3月半ばを過ぎた今は、すっかり春の気候だ。
今年は桜が早いようで、もう蕾が膨らみかけている。今年は4月にならないうちに、満開の桜が見られそうだった。
自転車でゆっくり走りながら、まだ京都に居た去年の春は、計画していた花見が中止になってとてもがっかりした事を思い出す。

ここでの花見は、特に計画していなくても誰かが始めると来たい人は勝手に参加して、何となく始まると聞いている。
そういう緩い感じもこの地域らしくていいなあと思う。今年は楽しみだ。
桜並木を走りながら、今年の花見を思い描いた。
(唯さんとラインで話した時は・・・京都でも今年はカフェのお客さん達と花見やる予定とか言ってたな)

普通の日常に戻る事を望んでいる人は、この地域だけでなく何処にもいる。


少し先まで行くと、外にテーブルを置いて、数人の子供達が集まっているのが見えてきた。
ここでは、慶が子供たちに勉強を教えている。
古い町家を修理して住んでいる自宅と兼用の、私設の塾のような物だった。
昔で言う、寺子屋のような感じに近いのかもしれない。
今日は暖かく天気がいいから、勉強も外でやっているらしい。

通りすがりに梢が挨拶すると、みんなで元気よく返してくれる。
ここの子供達は、皆本当に健康で明るい。
感染対策が始まってから学校へ行かなくなった、世間一般で言う「不登校」の子供達。
世間では学校に行っていないというと、問題あり、異常、病気というとらえ方をするけれど、ここの子供達は学校へ行っている子供達よりむしろ元気に見える。
学校へ行けば、皆同じ時間割に従って行動し、何の意味があるのかよく分からない細かい規則を沢山守らないといけない。

梢は自分も子供の頃そういうのが嫌いだったので、学校へ行きたくない子供たちの気持はよくわかった。
それに加えて今は、感染対策として真夏でも1日中マスク着用、何度も手指を消毒、アクリル板やダンボールで仕切られた中で過ごす。
どう考えても健康に悪そうだし、精神的にも辛そうにしか思えない。
生活していくのに必要な事や、読み書きや簡単な計算を教わるのに、別に学校でなくても何の問題もないように思える。成長してからより多く学びたければ、通信教育という手もある。

慶が引っ越してきた時には、民宿のスタッフ全員で手伝いに行った。
オーナーと健太は家の修理が得意だ。数年間空き家になっていたボロボロの家は、二人が修理してかなり綺麗になった。
パソコン関係の事は侑斗が得意なので全部任せる。
慶が借りた家は、持ち主も、使わないし売れないしどうしようかと思っていたような物件だったらしい。
好きに直していいという事で、賃貸で借りられる事になった。元がボロボロなので家賃も安い。

こういう家がこの辺りにはまだもう少し残っている。
毎月、ここの地域の事を知って、一人、二人と引っ越して来たり、元々ここに住んでいる誰かの家族が来て人が増えたりしてるが、地域全体で百人程度までは増えても住めそうだった。
全国からバラバラに集まってきているのに、なぜか気が合わない人はいない。平和な日々は今日も続いている。










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