最果ての地にて愛をつなぐ⑮ 第10章 2021年2月

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

丸い社会へに移行をイメージして書いている架空の物語です。

2021年2月

冬の狸は、毛がみっしりと生えていて丸々としている。
狸の顔は一般的イメージよりも細長くて、耳も丸くなくてとがっている。足は黒で、目の周りも黒。
尻尾はあまり大きくなくて大抵はだらんと下がっているので、犬や猫のように感情表現があるのではなさそうだ。
小さい狸たちは活発に動き回っていて丸々と可愛らしく、観ていて飽きることが無い。

この地域の二月はそれほど寒くもなく、天気のいい日の昼間なら気持ちよく外に居られる。
今日休みをもらっている梢は、起きたらちょうど昼の狸時間だったので、外で狸達に食べ物を分けながら自分も近くで座って食事を済ませた。
今日の昼食は、昨夜行った居酒屋で食べ残した物を包んでもらっていた。
質のいい材料を使った焼き魚や酢の物、漬物、おにぎりは、時間が経っても十分に美味しかった。
昨夜何時まで飲んでいたかは覚えていない。
ここへ来てからというもの、本当に時計をあまり見なくなった。
それで何も困らないのだという事を、梢は実感している。
ここでは時間に追われるという事が無いし、皆がゆったりとした一日一日を楽しんでいる。

調理場の方を見ると、トンビがこちらに近づいてくるのが見え、喜一さんが油揚げを投げているのが見えた。
投げられるタイミングに合わせて下降してきたトンビは、足を使って空中で油揚げをキャッチする。
もう何度も見たけれど、いつもすごいなあと思う。
トンビは、受け取ったご馳走を近くの電信柱の上に運び、ゆっくりと食事を始めた。
大抵いつもこんな感じで関わってくるこのトンビは、お腹が空いている時はもう少し積極的に食べ物を要求することもある。
以前、梢が朝一番で外に面したガラス戸を開けようとすると、ガラス戸に茶色い影が映っていた。
けっこう大きいし磨りガラス越しなのではっきりした姿は見えない。一瞬何かと思ってぎょっとした。
恐る恐る開けてみると、トンビがそこにとまって待っていたので、油揚げを持ってきて前に置くと受け取って去っていった。
ちくわなども食べなくはないけど油揚げが一番のお気に入りらしい。「トンビに油揚げ」というのは本当だった。

この辺で座って食べていると、犬猫もやってくる。動物たちも、人が食べている物は気になるらしい。狐だけは早朝か夜しか来ないけれど。
人間にとっても、自分が食べ終わって残った物があれば、動物たちが食べてくれるのでちょうどいい。
ここには食べ物が豊富にある。野菜は余るほど穫れるし、野草も取ってきて食べられる。
趣味で釣りをする人達から魚もよくもらう。肉もたまにもらう事があって、そういう時はバーベキューが始まる。
鶏を飼っている家からは卵をもらうし、牛を飼っている家も一軒あって、そこからは一升瓶に入った牛乳をもらう事がある。
梢は、ここに来るまでは卵や牛乳が嫌いではないが特別好きでもなかった。
それは、生みたての卵や絞りたての牛乳が、こんなに美味しいとは知らなかったからだった。今では卵と牛乳が大好物になった。

ここに来て慣れないうちは、散歩に行ってもやたらと人が物をくれるので「こんなにもらっていいのかな」「何か後でお返ししないといけないかな」と思って戸惑ってしまっていた。
今では、そんな気遣いは無用だと知っている。
今は、特定の欲しい物があって「あそこに行けば余ってるかも・・・」と思えば、堂々と「もしあったらいただけませんか?」と平気で言えるようになった。
逆に人が何かもらいに来ても、全然驚かなくなった。
ここでは人も動物も、欲しい物はもらいに行く。
「余ってるからご自由にどうぞ」というので、季節の野菜などが積んであるのを目にする事もあった。
必要なら遠慮なく欲しいだけ持って帰る。
民宿の勝手口に、大根や白菜が積んであった事もあった。
そんな形で誰かがくれる事はよくあるらしく、そういう野菜があると中に持って入って、食事の材料にするか多い場合は漬物にする。

服や日用品でさえ、ここではよくタダで手に入る。
梢もここの人達と同じく、ガレージセールや交換会のような事を誰かがやっているのを見かけたらのぞきに行く。
そこで欲しい物がけっこう手に入るので、ほとんど買わずに済んでいた。
こういう日常なので、バイト代もあまり使わずに残っていってすぐに貯まる。
梢は今月、預金を一部おろして電動自転車を買った。
今までは宿泊客用のを借りていたけけれど、これがあると行動範囲も広がりそうで楽しみだった。

買って間もない新しい自転車で、ゆっくりと景色を楽しみながら走る。
海沿いを風を切って走ると、歩いている時よりは寒さを強く感じる。
けれど凍えるようなというレベルの寒さではないし、冬の景色というのも梢は嫌いではなかった。
ほとんどの木々が葉を落としていても、枝だけになった木のシルエットはそれはそれで美しく、梅の蕾もそろそろ膨らみ始めている。
公園の近くを通ると椿の花の美しい赤も見られる。
梢は夏からここに来て、秋を迎え、冬を迎えた。
もうすぐ立春で、暦の上では春を迎える。
京都に居た頃も季節ごとの自然の美しさを楽しんできたけれど、ここでもそれは同じだった。
むしろ京都の街中よりも、ここには手つかずの自然の風景が多く残っている。
人の手が入っている部分も、都会と違って土地が安く庭が広く取れるので、家庭菜園などを楽しんでいる家が多く見られた。
美しい花が一番多く咲く春に、どんな景色が見られるのか今から楽しみだった。
植物を育てるのが好きで、いつも美しい庭を見せてくれる家も沢山あった。



自転車で走るのに少し疲れたら、知っている店に入って休憩する。
梢が最初にこの地域へ来た時に、他とは様子が違うのを外から観て気になり、入ってみたカフェ。
今では、週に1~2回は必ずここへ来るようになっていた。
ここのコーヒーは最高だし、食べ物もおいしい。
それに今では、いつ来てもほとんど知っている人ばかりだった。

梢が働いている民宿へこれから行く予定で、ここに寄ったという旅行客に会うという事も何度かあった。
その時はちょうどいい具合に道案内ができた。
そういう事があると、最初に自分がここから案内してもらって民宿に行った時の事を思い出し、とても懐かしかった。
考えてみればそれからまだ一年も経っていなくて、つい最近の事なのだけれど。
梢はこの地域の住人としてすっかり馴染んでしまったので、なんだかそれが遠い過去のように思えた。

この季節、通いの猫は外にはいなくて、来た時は大抵中に入っている。
さすがに二月の店の前は寒いのかと思う。
今日も梢が入っていくと店の中はほ満員で、猫はボックス席のテーブルの下で寝ていた。
ここに来る人で動物が苦手な人はいないので、猫は誰が居ようと堂々と入ってきて、その日の気分で好きな場所に陣取っている。

店内はカウンター席の端が一つ空いていたので、梢はそこに座った。
今日偶然隣の席に居るのは薫さんで、梢が客として民宿に泊まった時会った女性だった。
今では友達と言える距離感になっている。
「今日休み?」
「うん。明日まで二連休」
民宿では正月の期間が忙しかった分、今の期間に交代で連休を取っていた。

ランチを頼むほどお腹が空いていないので、梢は今日は焼き菓子を頼んだ。
ここの焼き菓子は、オーナーの美津さんがその日によって、気まぐれで色々な種類の物を出してくれる。
今日はチーズケーキで、新鮮な材料を使ったケーキは飾りなくシンプルだけれど最高に美味しい。
少し苦味の強いコーヒーとの相性も抜群だった。
「やっぱりここのケーキ美味しい。最高」
「ありがとう。みんなそう言うてくれるし嬉しいわ」
カウンターの向こうの端のお客さんと話していた美津さんが、梢の独り言を聞いて答えてくれた。

ボックス席には、梢が最初にここに来た時相席で席を空けてくれたカップルが、友達の男性二人と一緒に来ていた。
友達の方は、この地域で陶芸をやっている人達で梢も顔見知りだった。
この店の食器も民宿の食器も、この人達の作品だった。

カップルの二人の名前は達也さんと怜さんで、最近まで東京で仕事をしていたと聞いた。
本業のイベント関連の仕事がコロナ騒動でやりにくくなったので、副業だった文筆業やユーチューブチャンネルでの配信などを仕事にしている。
この二人が夫婦なのかどうかは未だに知らないし名字も知らなかったが、そんな事は関係なくけっこう親しく話すようになっていた。

そういえばオーナーの美津さんや今隣にいる薫さんに関しても、名字も知らないしパートナーが居るのかどうかも知らなかった。
一緒に民宿で働いている人達でさえ、名字は一度聞いた気もするけどもう忘れていた。
それくらいこの地域では、何々家という立場のようなものは意味を持たない。
年上も年下も無い。完全に皆んなが横並びの世界だった。
一度ここに馴染んでしまうと、もう以前の世界では暮らせない。
梢がそう思っているのと同じように、他の人も皆んなそう思っているようで、誰かがそんな話をするのを時々耳にすることがあった。
世間の常識、どうでもいい決まり事、人からの干渉などがめんどくさくて、とてもじゃないけれど元の世界では我慢できそうにない。

世の中では今、コロナワクチンの接種がスタートしているらしく、その話題も時々入ってきた。
ここでの日常を暮らしていると、コロナ騒動自体を忘れているので、何でワクチンが必要なのかと不思議な感じしかしない。
コロナ騒動が始まってから既に一年以上が経過していたけれど、テレビの中の世界で騒ぎが大きくなっているだけで、この地域の知り合いの範囲では、真冬でも風邪をひく人さえ滅多にいなかった。
この地域の中でももちろん、全員が知り合いなわけでもないし、コロナを死ぬほど恐れている人もいればワクチンを救世主のように待っている人もいる。
この地域全体の人口から考えると、むしろそういう人の方がずっと多い。
そっちの方が今の世の中での圧倒的多数派で、その中にあって自分達数十人の繋がりは、豆粒のようなものだった。

でも「このくらいだからいい」というのも、ここではよく聞く話だった。
大きな人数になって、目立ってくれば潰されやすい。
目立たず、世の中の状況に対して対立せず、考えの違う人を無理に誘わず、自分達の暮らしを守って楽しく生きる。
世の中からは、最初から居なかった事にしてもらう。ある意味「消える」
実際に今そうなっていて、自分達の中だけで、世の中とは完全に違う世界を生きている感覚だった。
何か仕切りや囲いがあるわけではないので、同じ場所に居ながらも、観ている世界がまるで違う。
コロナ騒動がどれほど大きくなろうが、国のトップたちがワクチン接種を一生懸命進めていようが、ここではまるで関係なかった。
この地域の知り合いの人数はまた少し増えて、70人に近づいていた。

続きはこちらです。



















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