刷り込みに気が付いたら自由に生きられる

世の中の仕組みについて

ピラミッド型の社会では、
小学校から始まる教育、その後も
続いていく教育によって
刷り込まれている事が山ほどある。

今では幼稚園からそれが始まる。
受験を経験する年齢もどんどん
下がってきている。

親もそうやって育ってきているので、
子供に対してこれが正しいと教える。

私は子育て経験はないけど、
自分の子供の頃からを思い出すと
この刷り込みの中で育ってきたと思う。

以降数十年、
今から十年くらい前までそれが続いていた。

ここから抜けると、
今までは何だったのかと思うほど
嘘のように楽しくなる。
日常の全てが「楽しい事」に変わるので
特別な事さえそんなに要らない。

以前は、無理に頑張っている日常の中で
時々何か楽しみ(旅行、豪華な外食など)
を決めて、
「あれがあるから頑張ろう」
という感じで生きていた。

それ以外ではけっこう我慢も多かったけど、
その頃はこれが普通だとか
もっと頑張っている人もいるからと思って
特に我慢している意識もなかった。

ついに健康を損ねた時に初めて考えた。
これがずっと続く?
無理だよな・・・

夢とか目標とかいうのは 、
何か大きな事でないといけないような
そういう思い込みが以前はあった。

それで一生懸命考えて紙に書いて
願ってみた事は何も叶わなかった。
年収いくらとか
大邸宅に住むとか
自分にとって本当は要らんかった。

夢とか目標というのはこういうもので、
それが無い事がいけない事なのでは・・・
という思い込みが、その頃あったと思う。

「今のままが続く」というのが夢だと、
世の中の基準では向上心がないということになる。

でも世の中の基準に合わせるより、
自分の基準に 合わせた方がきっと
健康で幸せに生きられる。

私は日常そのものを楽しんで暮らすのが好き。
じゃあそうしようと思ったら出来た。簡単に。
以前は何十年も
そんなことをしていたら食べていけなくなると
固く信じていた。

今の住居が造りとか間取りとか全て好きすぎて、
そういう意味ではずっと居たいけど
外の環境としてはもうちょっと自然が多い方がいい 。
だから両方のイメージを合わせて妄想中。

家が広過ぎたら掃除するのめんどいし、
物も少ない方なのに場所が広くても使わんから
そんなに広さは要らん。

自炊に向く造りと外に土がある環境が好き。

そういうのが自分でわかってきた。

以前はお金持ちの家の画像を検索して
頑張って大邸宅をイメージしてたし、
向上心を持ち大きな事を願うべきと信じてた。

今考えたらアホやなあと思う。
頑張ってイメージしないと思えないような事なんか
本当は要らないのに。

日常を楽しむためには好きな場所に住みたい。
食べ物には興味大。好きな物食べたい 。
毎日好きなだけ本が読みたいなど 、
決めてるとその分のお金には何故か困ることがない。

この感覚がわかってくると、
安心のための余分は求めなくなった 。

病気にもならないことに決めてるし、
医療費もずっと0を更新中。

世の中でどんなに盛んに言われていても、
将来病気になったら困るから
寝たきりになったら困るから
そのために預金をしなければとは思わない。

必要なだけ回ってきたお金を楽しく使う。

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