最果ての地にて愛をつなぐ⑭ 第9章2021年1月

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

架空の物語14回目です。

世の中がコロナ騒動で荒れている中、丸い社会へ移行する話。

第9章 2021年1月

以前に聞いていた通り、ここの気候は真冬の今になっても比較的穏やかだった。
まだ一度も雪を見ないし、霜が降りて地面が凍ることもない。
底冷えのする京都の冬と比べると楽勝だった。

新しい年が明けたとは言っても、正月だから特に何かするというわけでもない。
民宿は世間の休みの時の方がむしろ忙しい。
ここの四人は、年末年始は普段と変わらず仕事をした。
年末から続く一番忙しい時期を過ぎてから、いつも通り交代で休むというのがここの毎年の流れらしい。
梢は、休んでどこか出かけるなら人混みを避けて空いている時の方がいいので、特に正月に休みたいとは思わなかった。
ここの仕事が大好きでもあるし、普段から1日の中で交代で休んだりして十分に自由時間があり、休憩時間を取っている。
その事もあって、まとまった長い休みが欲しいとは今のところ思わなかった。
旅行に行きたいとか希望があるなら言えばいつでも休めるらしいけれど、今は感染対策万全の場所に旅行に行ってもつまらないというのもあって今はあまり行きたいとも思わなかった。

年末から正月にかけて、梢の以前の勤め先の経営者家族が、約束通り泊まりに来てくれた。
その時も本当に楽しくて、数日間があっという間だった。
マスターもママも唯さんも、この場所を本当に気に入ってくれて、また来たいと言ってくれた。
それが本心から出た言葉だというのは、梢にもはっきりと伝わってきた。
料理がうまくなったとも言ってもらえたので、その事もすごくうれしかった。
上手くなったというか、以前は全くできなかったのだけれど。
ここに滞在している間に三人は、他の宿泊客や、この地域に住む人達との交流もあり、多くの人と連絡先交換をしていた。
SNSで最初からつながっていて、初めてリアルで会えたという人も何人か居たらしい。
コロナ騒動が始まって以降、それがおかしいと感じていて普通の生活を取り戻したいと思っている人はかなり少数派で、今の世間一般からは完全にに浮いている。
そういう人同士がSNSで繋がっているので、少ないだけにネット上ではお互いに知り合いという確率も高い。
話した事は無くても「タイムラインでこの人の投稿よく見かけるな」という感じで知っていることが多い。
リアルでは会っていなくても、ずいぶん前からネット上ではけっこう話していたという事も珍しくない。

京都ではここまでの人数の仲間はいないから羨ましい、けれどこの状況を見た事で、京都でも同じことができるイメージが固まったと言ってくれた。
この地域のような場所が、日本のあちこちにこれから出来ていく。
そんな事をイメージすると、梢は気持ちが明るくなってワクワクしてくるの感じた。
「今の世の中のピラミッド型支配システムから離れて丸い世界へ移行する」という内容の、情報を出しているユーチューブの番組がある。
ここで働き始めた頃に健太が教えてくれて、梢もその頃から続けて観ていた。
食事の準備をしながら、掃除をしながら、それを聴いている事も多かった。
何度も聴く事によってイメージは固まってくる。
唯さん達が来たときに教えたら、家族全員ですでに観ていてよく知っていた。
考えている事が似ていると、観るものも似てくるらしい。

ここでは皆、テレビを一切見ずに自分の好きな情報をいつも取り入れている。
テレビのニュースを観ると気持ちが沈むだけだし、作られたり捻じ曲げられた報道がほとんどだという事を知ってしまうと観る気はしなくなる。
梢は元々、テレビでは映画とアニメとスポーツくらいしか観たい物は無いので、それならテレビでなくても観る方法はあった。

観て気持ちのいい情報を取り入れ、気分の悪くなるものは見ない。
これは逃避ではないというのを、最近も皆で話したところだった。
引き寄せたくない情報にフォーカスしてしまえば、実際にその現実を作ってしまう。
それを避けようと思えば、そういう情報には触れないに限る。
何が真実かという事の絶対的証拠など、実際どこにもない。
どんな情報であれ、言っている人が嘘を言っていないか、出されている資料は本物かなど、突き詰めていけば「絶対的証拠」と言い切れるものなどこの世界のどこにも存在しない。
最終的に頼りに出来るのは、外からの情報ではなく自分自身の感覚。
テレビ画面の中で起きている事でなく、実際に自分の目で見たものを信頼し、自分にとって腑に落ちる情報を取る。
ここの人達の意識は、共通してそんな感じだった。

それでもユーチューブを見ているとたまに、おすすめ動画として目に入りやすい場所に、テレビの情報が入ってくる。
以前にも増して矛盾に満ちた、あやしい感染対策は続いているらしい。
感染者が増えた増えたとテレビでは毎日わめいているようだけれど、街中の様子は何も変わらず、人がバタバタ倒れて死んでいく様子などは見られなかった。
去年の統計を見ると、日本での死者数の全体数はむしろその前の年より大きく減っていた。
検査で陽性になって差別を受ける事を恐れた人々が病院に行かなくなった事や、学校や会社が休みになったりテレワークになった事で、学校や仕事が嫌すぎて自殺する人が減ったからではないかと推測される。

日本はいつからこんなにしんどい国になってしまったのかと皆で話した事もあった。
ただでさえそういう状況だったところに、今回のコロナ騒動でとどめを刺されているように感じられる。
全体の死者数は減ってはいるものの、倒産、失業、自殺が増えるのは止まらない。
意図してここから離れようと思わない限り、この狂った世界に飲み込まれてしまう。
少しだけ希望を持てるのは、ここまであからさまに矛盾だらけの事をやってくれたら、そのおかしさに気が付く人も増えるのではないかという事だった。
梢も、時々親と連絡を取って様子を見ていた。
仕事を変えた事も引っ越した事も、数ヶ月経ってからの事後報告だったけれど、何を言われても好きなようにするというブレない気持ちで伝えると、もう何も言われなかった。
感染対策を頑張っていればコロナが終わると思っているのは相変わらずだったけれど「コロナに疲れた」と言っていた。
存在すら証明されていないコロナにではなく、感染対策に疲れたに違いないと思ったけれど、言って喧嘩になるのもつまらないので「そうなんだ。無理しないでたまにはゆっくりしてね」と言って話を終えた。



冬至の頃より少しだけ日が長くなったけれど、朝仕事を始める時間、外はまだ暗い。
梢は、ここで働くようになってから自然に朝早く起きられるようになった。
以前は朝が苦手で、自分は早く起きるのは無理だろうと思っていたけれど少しずつ変わってきた。
別に朝早く起きなければいけないと決まっているわけではなく、その日の分の仕事をいつやってもよかった。
掃除、洗濯、片付け、料理の下ごしらえなど、朝から始めて早いうちにやってしまうと、後からゆっくりできるのが楽しみで勝手にそのペースで動いていた。
朝早い時間の方が活動的な気分で、仕事も早くできる気がした。
健太も朝早い方で、二人で入っている時は自然に一緒に仕事をすることが多く、どちらかが休みの時は一人で倍の時間をかけてゆっくり仕事をこなした。
誰か休んだからといって特にバタバタすることもないのがこの職場のいいところで、おかげでストレスは無い。
朝の仕事が半分片付いたころにオーナーが起きてきて、朝の苦手な侑斗はいつも昼近くまで寝ていた。
その分夜は最後まで残ってくれていて、皆好きなようにやっている中でうまくバランスが取れていた。

最初に健太が教えてくれた「狸時間」というのがここにはあった。
ここは客室に時計が無く、食堂や廊下や風呂場などお客さんの目に触れる場所にも時計が無い。
時間に追われる日常を離れ、時間を気にせずゆっくり過ごしてもらいたいという気持ちでそうしている。
なのでスタッフ側も時刻を見るのは、調理場の台の上にある小さい時計のみだった。
明け方は近所の家で鶏の鳴き声がするし、その後もう少し明るくなりはじめると野鳥の鳴き声が聞こえてくる。
それ以降は太陽の位置によって見当がつくこともあるが、天気の悪い日は分かりにくい事もあった。
仕事の段取り上「ちょっと何時頃か知りたい」という時はたまにある。
腕時計は仕事の邪魔だし、いちいちスマホを確認するのもめんどくさい。

そこで役立つのがこの「狸時間」で、朝6時30分になると、野生の狸が食べ物を求めてやってくる。
余っている物はいつもあるので、見かけたら誰かがあげていた。狸は雑食なので何でも食べる。
最初は夫婦2匹で来ていた狸は去年子供を産んで、今は小さいほうが9匹とあわせて、11匹の大所帯で訪れるようになった。
来ているのに気が付かないと静かに待っていて、目的の物をもらえると静かに去っていく。
その次に13時30分になるとまた訪れる。
最後は20時30分になるとその日の最後のご飯をもらいに訪れる。
昼と夜はお客さんが居てもけっこう近くまで来るので、ここの一種の看板のようになっていた。
この3回の時間が本当に正確なので、スタッフはみんな時計代わりとして狸時間を使っている。
朝早く起きる二人には、仕事スタートが朝の狸時間で、食べ物をあげてから仕事にかかる。
自分の食事休憩も入れながら、その日のほとんどの仕事をやり終えるのが、一人で仕事をやった場合昼の狸時間頃。
二人でやった場合はずっと早く終わるので、散歩に出かけたりして昼の狸時間までダラダラ過ごす。
夜狸時間になると、一日の仕事はほぼ終わっている。
「また明日」という感じで狸が去って、一日の仕事が終わる。

狸以外にも、狐が二匹でよく現れるし、トンビが一匹いつも来ている。
野生の猫や犬が何匹も、毎日のように訪れる。
カラスやハト、スズメも来ることがある。
食べ物は豊富にあるので誰が来ても、必ず残り物をあげていた。
犬と猫は食事だけでなく滞在時間が長いし、他の動物たちは来る時間が気まぐれなので、時計代わりになるのは狸時間だけだった。


今年に入ってから民宿は去年以上に忙しくなり、長期連泊の人も増えたため部屋が空かなくて、予約は数ヶ月先まで入っていた。
梢は、この場所での初めての冬を存分に楽しんだ。
仕事と日常が一緒になったようなここでの暮らしは、季節の料理を楽しみ、夜は柚子風呂なども楽しめる。
仕事の合間や後に、時にはゆっくりした一人時間を持ち、誰かと過ごしたければ、一緒に居て心地いい人達がすぐ近くに沢山いる。
地域の人達との交流も、以前にも増して深まっていった。
それでも人からの干渉は一切なく、ここには自由があった。
せっかく平和な日常の中で、テレビの情報が目に入ってきた時だけは一瞬嫌な気分になるけれど、それもすぐに薄れていった。

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