最果ての地にて愛をつなぐ 13 2020年冬

小説 最果ての地にて愛をつなぐ

梢は、約束していた通り久しぶりにカフェに行って、マスターとママと唯さんに会えた。
店はコロナ騒動以降今年の5〜6月が一番暇になって、梢もその時に店を辞めている。
そのあとは唯さんからも聞いていた通り、少しずつ回復してきていて、8月末の今日は夕方の時間帯で満席だった。
一時期は他所で働いていた唯さんも最近店に戻って、3人体制でいい感じに回っていた。
大好きな店がまた忙しくなってきている様子を見て、梢は本当に嬉しかった。

店が終わったあとは三人でカラオケに行き、その後は近くの居酒屋で飲んだ。
梢の新しい仕事場のことや、カフェのこれからのこと、京都の今の様子など話しているうちに日付けが変わった。
かなり遅くなったので梢はアパートに帰らず、カフェ二階にある経営者家族の住居に泊まった。

今年は祇園祭も山鉾巡行が中止、その他にも色々と行事が中止になって、なんだか夏らしくない夏だったと聞いた。
梢は民宿に居た間、ほとんどコロナ騒動のことを忘れていたので、もしかしたらもう世の中も普通に戻る方向に少しずつでも動いているのかもしれないと淡い期待もしていた。
けれど街中の様子を見ても、今日聞いた話でも、どうもそれはなさそうだった。

世の中が元通りになるのを待つという発想は、もう無しなのかなと四人で話した。
元通りになるどころか、異様さが加速しているような状況らしい。
それでも街の様子はと言えば相変わらず、人がバタバタ倒れて死んでいるわけでもなく、毎日救急車が走り回っているわけでもなかった。
マスク着用が当たり前になったため、真夏には熱中症で倒れる人、亡くなる人だけは増えたという何ともおかしな状況だったという。
それでもほとんどの人がおかしいと思わず、毎日テレビを観てはコロナ怖い怖いと話題にしているらしい。

この辺りでは、この店とここに来るお客さんの間だけで、違う世界を作っているとマスターもママも話していた。
世の中が元に戻るのを待つのではなく、積極的にそこから離れる。
従えばもらえる補助金など当てにせず、今まで通りに営業して売り上げを上げる。
それで潰れたら潔くやめようと話し合って、自分達のやり方を貫いていたところ、今のままを望んでいるお客さんにはむしろ喜ばれて売り上げは回復してきたらしい。

たまにはSNS上で嫌がらせの書き込みがあったり、店の扉に嫌がらせの落書きや貼り紙、ポストに苦情の手紙が入っていたりもする。
それでも、そういうものの数よりも応援してくれる人からのSNSでのコメントや、来て応援してくれるお客様の数の方が何十倍も多いので、多少の嫌な事は笑い飛ばしていられるということだった。
待っているのではなくて、離れて好きな世界で生きる。梢にもそれは大きなヒントだった。
そう言われてみると今いる新しい場所でも、そういうスタンスの人達が多い。
「テレビを見なければ分からないような状況など現実には無いのと同じ」そんなことを言っていた健太の言葉を思い出した。

年末には休みを取って、梢の働いている民宿にも家族で遊に来てくれるということになり、これからの楽しみも増えた。
また連絡を取り合う約束をして翌朝アパートに帰り、退出の手続きを終えた時はスッキリした気持ちだった。

2020年 冬

梢が民宿でバイトするようになって、もう五ヶ月目に入っていた。
他のスタッフも入れ替わりはなく、オーナーの喜一さん、健太、侑斗、梢の四人で回していた。
一人増えたことで全員が休みやすくなった。
11月に入った頃から少し肌寒くなったけれど、この地域は京都ほど冬の寒さは厳しくないらしい。
雪も滅多に降らないし、耐えられないほどの寒さを感じる日も少ないと聞いて、寒いのが苦手な梢は安心した。

冬になると大根、白菜などの冬野菜が美味しくなる。
民宿の夜のメニューも、おでんや鍋物、煮物が多くなってきた。
こういう料理は、下ごしらえをして火にかけて近くで見てさえいれば、あとは好きな事ができる。
料理をほとんどしたことがなかった梢は最初そのあたりのことが分からなくて、ずっと鍋のそばに突っ立って蓋を開けたり閉めたりしていたので健太に笑われた。
今ではもう慣れたもので、おでんが煮えている鍋の側でパソコン作業をする事もあるし他の用事を片付ける事もある。
特にすることがなければ好きな本や漫画を読もうがゲームをしようが自由なのも、この職場のいいところだった。

その日にある材料を見て、何を作るかも自分で好きに考えていい。
隣近所の人達からのもらい物も驚くほど多いという事を、梢はここのバイトを始めてすぐに知った。
海で釣ってきた魚、海藻類、貝類、自分の家で作った野菜、花など。
米や餅などももらえる時があり、あまりお金がかからないと言っていたのはこういう事だったのかと理解した。
食材に関しては、ほとんど買わなくてもいいくらいの状況だった。買っているのはパンと、たまに米くらいだった。

この民宿の三人も、他の家や店によく手伝いに行っていた。
喜一さんと健太は、壊れた場所の修繕や車で物を運ぶ作業、インターネット関係に強い侑斗はパソコンの接続や修理の手伝いに行ったりしていた。この地域の中で誰かから何か世話になった場合、必ずその人に返すというわけでもない。
全然関係のない別の人の何かを手伝ったりする。
皆がそうやって、全体で循環ができている感じだった。
ここではこれが当たり前なのだということが、見ているとわかってくる。
梢もそれに倣うようになった。
何か手伝って欲しい時は誰か出来る人いないかと聞いて平気で頼めるし、誰かが何か困っていてそれが自分に出来ることなら当然手伝う。
今ではそれに何の違和感もなく、こういうものだと思っていた。
皆が得意な事をやって、苦手な事はやらなくていいこのやり方は、最も効率的でストレスが無かった。

この民宿での仕事も本当にストレスが無い。
掃除、洗濯、料理、片付け、受付、パソコン作業など仕事は色々あったが、四人がそれぞれ自分の得意なことをやっている中でうまく回っている。自分のペースで仕事の順番も決められるし、休憩時間、食事時間も特に決まっていなかった。
働い時間分だけ自己申告てその日のバイト代をもらう。
1日のうちでこれだけ絶対にやらないといけないという事もなく、回っていればそれでよかった。
仕事が何ヶ月契約とかもないので、いつまで続けるかを常に計画しておくという必要もない。
皆んな自由に気楽にやっている。
それでも、来てくれたお客さんに対して、居心地良く楽しく過ごしてもらいたい、またリピートしてくれたら嬉しいという気持ちは皆んな持っている。
その心意気で仕事に取り組んでいるのも、お客さんにはちゃんと伝わるのかリピーターは本当に多く大抵いつも満室だった。

梢は、京都に居た頃のカフェでの勤務を時々思い出した。
そこの人達と家族のように親しくなれたのと同じように、ここでも新しい家族のような人達と一緒に働いている。
全然気を使わなくていいほどに親しくて、それでいてうっとおしい干渉はしてこない。
そういうところも、以前の仕事場も今も本当に恵まれていると梢は思っていた。

世間はコロナ騒動で大変な中、以前の職場では、店の中だけに外とは違う世界があるという感じだった。
ここでは、それが地域全体に広がっている。
人数が多い分、よりそのエネルギーが強まっていると思える。
この地域一帯の全員が同じ考えというのではなく、コロナを怖がって感染対策万全で生きている人も見かける。
それでも、こちらはその事があまり気にならないし、向こうも多分気にしていないのではないかと思える。
聞いたわけではないので本当のところは分からないけれど、京都にいた時感じた雰囲気と、ここで感じる雰囲気はまるで違う。
世間一般と違う生き方でも、人数がある程度いると市民権を得てしまうという事なのか、周りが諦めてくれるのか。
何かそんなところかなあと梢は思っていた。

夏に初めて会った時に、近いうちこの地域に引っ越してくる予定だと言っていた慶は、予定より早く実際に引っ越してきた。
他にも他所から来てこの地域に住み始めた人がいて、梢が最初に来た頃50人ほどだった人数は60人近くなっていた。
この辺りは最寄り駅からは徒歩20分以上かかり、交通手段が一日数本のバスしかないこともあって、家を買うにも借りるにも高くはなかった。
梢は、京都市内の相場と比べて最初かなり驚いたのを覚えている。
まだ空いている家もあったが、もう数十人も来たらいっぱいになりそうな感じだった。
あまり人が増えてもややこしいので、SNSでも出していないし何の宣伝もしていない。
でも、どこからともなくここの事を知って来る人は来るらしい。
それ以外には、梢がそうだったように旅行がきっかけという人もいる。

一人暮らしの人、家族らしき人、友達同士でルームシェアをしているらしき人、カップル。
色んな人がいたけれど、誰も人の事を詮索しない。
子供がいるから家族なのかなと思う程度で、カップルがいたとしても夫婦なのか違うのか誰も知らなかった。
ここの人達は下の名前しか名乗らない。
あまりにもそれが自然なので、梢は途中まで気がつかず、かなり経ってからそういえばと思った。
何々家の誰々とか家を継ぐとか先祖がどうとか、そういった発想がまるでなく、名前というのはその人を識別できればなんでもいいという感じだった。
名乗っているのが本名かどうかすら分からなくても誰も気にしていない。
なので梢も未だに、ここの地域の人達全員と顔見知りでも、誰の名字も知らなかった。
しきたりも無ければ宗教もない。ただゆったりと流れていく時間があり、日々の暮らしを楽しむ人達が住んでいる。それがこの地域だった。

続きはこちらです

コメント

タイトルとURLをコピーしました