テレビを見るのを止めてから違う世界が見える

世の中の仕組みについて

テレビで言われている事は真実か

民間放送局なら
テレビコマーシャルを出している
会社に都合の悪い事は言わない。

広告料を払ってくれる
大事なお得意様なわけだから。
それが入らなければ存続していけない。

特殊法人NHK(日本放送協会)の場合は
公共放送なのでコマーシャルは入れられない。
なので受信料で運営。
他にも国会で承認された予算はおりるし、
地方自治体、企業からの寄付もある。

国営放送のように国家権力によって統制された
内容ではなく公平な内容を放送するという事に
表向きは一応なっている。

この場合も受信料以外の収入源を見れば
事業予算をおろしてくれる側、
寄付金を出してくれる側に
都合の悪い事など言えないに決まっている。

一応の建前である、公共性のある公平な内容の
放送なんてあるわけない。

テレビがあるのが当たり前という思考

テレビが全ての家庭に必ずあるという
状態になっていったのは昭和40年代頃から。

日本の長い歴史の中で、たかが数十年前から。

特に戦後から、3S政策
(主にGHQが日本占領下で行った、
screen(映像鑑賞)
sport(スポーツ観戦)、
sex(性欲)を用いて
大衆の関心をそこにだけ向けさせる)
の一つにもなっているスクリーン。
映画もテレビの映像も同じ

テレビが出始めた頃は、
持っている事がすごいという事になった。

皆が持つようになると持っていないのが
恥ずかしいに変わる。


今で言えばスマホを持っていないと
恥ずかしいという感覚に近いかも。

テレビ以外でもこの現象は見られるけど・・・

「これを持っているのが当たり前」という感覚も
刷り込まれた思考でしかない。

人との会話でもテレビ番組観てないと
ついていけないと
ニュースの内容を知らないと恥ずかしいという
思考の人はまだ多い。

こうなるように誘導した側からすると、
「世論の方向をこっちに向けよう
「これに注目させよう」と思えば
繰り返しそれだけを流せば済むわけ
隠したい事テレビで流さなければ済むわけで。
これ以上簡単な事は無い。

手放しても何も困らない

私は18年ほど前にテレビを手放した。

二度と持ちたいと思わないし一度も困らない。

最初に書いたように、
お金を出してくれる側に都合の悪い事は
放送しない
のだからそこに真実など無い

それよりもっと進んで
お金を出してくれる側が放送してほしいという
内容なら、
真実でなかろうが放送する

意図的に作られた世界

狙った物を何でも売る事が出来る。

狙った思考をさせる事ができる。

狙った行動をとらせる事ができる。

洗脳装置以外の何ものでもない。

ずっと以前からそうだったわけだけど・・・
コロナ騒動が始まったあたりから、
その事がよりはっきりしてきた。

これを全部知った上で、差し支えない番組だけ
楽しみに観るくらいは大丈夫と思うけど。
テレビを一番信用できる情報源と考えて
テレビで言ってたから真実なんだ」という基準で
すぐ信じる方向に行くのは・・・
日本は、他のどこの国よりもまだこういう基準を
持っている人が多い傾向。

テレビを信じるより、
自分の目で見て、肌感覚で感じる情報の方が
よほど信頼できる。
いわゆる野生のカンと言うやつ。
それを頼りに生きていて困る事は何もない。



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