「人の目が気になる」と「神様が見ている」

自営業者の日常雑記

いつから世の中こんな感じになったのか・・・
数十年前を振り返っても、
人の目を気にしないといけない世の中というのは
すでにあったと思うけど、
年々それがひどくなってきた気がする。
その中でのコロナ騒動。
ここにも今の世の中の状況がそのまま
現れていたと思う。
でも希望が無いとは思っていない。

お客様のご相談をお聞きする中で思う事

日々の仕事の中で思うこと。

ご相談内容としてとても多いのが・・・

「自分が周りの人からどう見られている
常にものすごく気になる」

職場で、上司から、部下から、同僚から、
社外で関わる仕事関係の人脈の中で。
皆が自分をどう見ているか」

付き合っている相手からどう思われているか」

片思いで好きな相手からどう思われているか」

仲のいい友達からどう思われているか」

仲のいいグループ
その中での自分はどう見られているか」

趣味のサークルの中でどう思われているか」

子供の親同士の付き合いの中で、
近所の人から、自分はどう見られているか」

家族から、親戚縁者の中で、
自分はどう思われているか」

この中の一つからいくつか、
場合によっては全部に近いほど

気になって仕方がないというお悩みは
少なくない。

これでは気持ちの休まる時が無いし、
常にその事ばかりが頭の中を回っていると
気が付かないうちに相当に疲労しているはず。

自分がどう考えていてどう行動したいかよりも、
周りの人に悪く思われないために
何を言いどう行動したらいいかというところを
先に考えてしまうから。

頑張って気にしないでおこうとするのは逆効果

人の目が気になるという人が圧倒的に多い日本でも、
平気な人も中にはいる。
気にしてしまう方の人はそういう人から、
「いちいちそんなに気にしなければいいのに」
と、軽く言われる事もあるかもしれない。

「そう言われて気にしないでいられるなら誰も苦労しない!」
と心の中で叫ぶに違いない。

それでも頑張って「気にしないでおこう」と思うのは逆効果。
その時点ですでに気にしている。

それよりも・・・
今の思考も含めて自分を眺めてみる方がおすすめ。
散歩している時でも、いい景色を眺めたり、
空を眺めたりしてボーっとしてる時でもいいので。

気にすることは悪い事だという思考があると、
ただでさえ人の目を気にして心が休まらない上に
罪悪感がプラスされて
「こんなことばかり気にしてしまう自分」を責めている。

その思考から離れて
「ああ気にしてるんだ」
という感じで一旦それを眺めてみる。
いい悪いで判断はしない

何で気にしてるんだろうというところで、
過去をゆっくりとさかのぼってもいい。
今とは関係ない過去の出来事が何か浮かんでくる
という事も少なくない。

その時の感情も全部否定せずに、
そうなんだ・・・ぐらいの感覚で受け止める。
感情に、良いも悪いもない
感情が出てきたら出してしまって、
また再びボーっと眺める。

外にいるなら、通り過ぎる人を眺めてみる。
この世がゲームだとするなら、
自分というプレイヤーから見ているのが
今見ている世界。
この外にいると思ってる人達一人一人からも、
また違った世界が見えている。
その中には、今ここにいる「自分」も
「外にいる人達」の中の一人として入っている。
「自分」という感覚っていったい何だろう・・・

こんな感じで思ってみると、
ちょっと不思議な感覚になってきたりして
今一生懸命気にしている事がなんだか
どうでもよくなってくる事もある。

何を恐れてその思考になってしまうのか冷静に考える

人から良く思われないと、
何か恐ろしい事が起きるのか?

それを冷静に考えた時、そんなことはない
というのは分かるはず。

それでもなぜ多くの人が、
ほとんど自動的に人の目を気にしてしまうのか。

子供の頃からよく周りから聞こえてきた事、
親から、学校で、言われてきた事も大きく
影響していると思う。

そんな事をしていて
又は、そんな事を言っていて
人様から何と思われるか・・・

協調性が無いと、
社会でまともに生きていけない


神様はいつも見ている。
悪い事をすればバチがあたる


周りにいる人という目に見える存在も、
目に見えない存在も、
常に自分を見ている目がある。


この思い込みがある人は多いけど・・・
本当はそれは刷り込まれたものでしかない。

そういう刷り込みをすることによって、
誰が得をするか考えたら分かる。

きっちり従わせる。
思い通りの思考をさせる。
皆一斉に同じ行動を取らせる。
こういう風にもっていくと、
管理する側にとっては最もやりやすい。

世の中のマスク依存症とコロナ騒動で思った事

海外では全く聞かない日本だけの話だけど 、
マスク依存症というのがここ数年増えていた 。
そういう人にとっては今は心地いいらしい 。
コロナ騒動以降、マスク着用が普通になったから。
コロナが5類になって以降もこれは続いている。

「気を使って表情を作らなくていい」
「容姿に自信が無いから顔を見られたくない」
「人に見られてないという安心感」

といった理由らしいけど・・・
日本っていつから
常に人の目に怯えそういう気持ちにならないといけない
国になったのかと思う。

コロナをそれほど恐れていなくても
人の目が怖いからマスクを外せない人も多そう。

コロナ騒動が続いていた去年一昨年は
人が見てる場では特に一生懸命消毒 したり、
他人と会わないよう他人に近寄らないよう
話しかけないように心掛けてる
という人も
多かった。

コロナ怖がってるアピール
感染対策頑張ってるアピール

こういう人がけっこうな割合でいたのでは?
と思ってしまう。

自分が本当はどう思っているかよりも、
人がからどう思われるかが先
に来ている。
普段からの思考の癖が、
あの状況を作っていたのかと思う。


「神様は見ているから」
という方の思い込みを感じるのは・・・

多い方が正しい。
テレビや新聞で知らされる事が正しい。
それと違う事をするのは悪い事で
そんな事をしている人は悪い人。
神様は見てるんだから
そんな人にはきっと天罰が下るはず。
自分は悪い人になりたくない

こういう事を話す人が居るのを見た時。

「私は己の良心に従って感染対策を頑張っている。
あなたにも良心というものが少しでもあるなら
マスクも消毒もしないワクチンを打たないなど
できないはず」とか、ドヤ顔で言う人も居たけど・・・
この思考なのかと思ってしまった。

私は、人の目があるからではなく、
目に見えない何かの存在が見ているからでもなく、
自分で調べた事、自分の目で見た事、自分の野生のカンに
従っていきたい。

コメント

  1. sachi より:

    本当にそう思います。
    つい先日、旦那とマスクのことで言い争いになってしまいました。私は感染対策はしないのですが、その私と出かけるのが恥ずかしいそうてす。みんなしてるからするのが常識、当たり前だそうです。
    私がウイルスの存在すら証明出来ないのになんで😷するの?と旦那の自由へ介入したのがよくなかったのでしょう、、
    以前よりも行動範囲が狭まりました。どこでも😷してるし、もう、うんざりなんです。ショッピングモールなど足が向かなくなりました。旦那は😷すればどこにでも行けるのに、と。ほとんどの人がそういう考えなんですかね。

    • ゆき satsuki より:

      読んでいただきありがとうございます。
      残念ながらほとんどの人がその考えですね。
      私もショッピングモールには行かなくなりました(^^;

      ご家族とか一番近い人が考えが違うとしんどいですよね。
      分かってる人だけでも行動で示さないともっと決まりが増えるので、
      自分だけでもノーマスクで通すのは意味あると思います(*^^*)

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