個人の判断でいいはずでは?

自営業者の日常雑記
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元々法的に決まっていたわけでもない事を
「段階的に緩和していく方向」とか
「状況によって基準を定める」とか
個人の判断でいいはずの事に対して全て、
何でいつもこの言葉が出てくるのか?

「何々についてどうしようと思いますか?」
と言った内容の、
一般の人への街頭インタビューというのも
支配層側に都合のいい答えのみで
編集しているからだろうけど・・・

テレビで言ってくれたら
政府からの発表があったら
という答えが多い。
自分で判断することができないから
自分より上の立場の人から
はっきりこうしなさいと指示を
出してもらえるのを求めている

という人が多い事が強調されている。

それを見た人も、
皆んなそうなんだ。
じゃあ自分もそうしよう。
指示してもらえるのを待とう」
という思考になりやすい。

それに対して支配層側は、

そうなんですね。
自分で考えるとか決めるとか
無理ですよね。
分かりました。
望み通り
全てにおいて
ちゃんと細かく
指示を出していきますから
それに従ってくださいね

という流れになる。

いつもこの流れで、
法的に決まっているわけでもない事が
まるで決まっているかのように
認識されていく

そういう事が今の日本にはいくつもある。

これでは、自分から進んで
檻の中に入っていくようなもの。

それでなにか望まない結果になった時
決まっていたからそうしたのに
と言っても遅い。
「別に決まってませんけど」
皆さまの判断でそうされたので」
ということになり、
実際法的には決まっていないのだから
それが通ってしまう。

身を守るには
「決まってるっぽい」で判断せずに
本当は?と調べて見ることだと思う。


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