好きなように生きるのは当然の権利 それを基準にすると今までのストレスが消えた①

自営業者の日常雑記

幼稚園、保育園、
その後に続く小学校、中学校、
ほとんどの人が高校、
半数以上の人が大学。
その中で刷り込まれる常識、道徳観と
メディアからの洗脳。

朝から晩までこの中にいて、
周りも皆それが正しいと思っている人しか
居ないような中で、違う考えを選択するのは
最初なかなかハードな事だとは思う。

でもここを乗り越えたら、
全然違う世界が開けている。

新しい考えがだんだん当たり前になってくると、
「今までよくあれだけ我慢していたな」と
あきれるのを通り越して感心する。

今もし以前の生活に戻ったら、
ストレスが溜まりすぎて数日で発狂しそう。
体調もまた以前のように悪くなって、
あまり長く生きられない気がする。

けれど今の世の中は、
ほとんどの人がその程度の事は
「これが普通」と思って生きている。

病気になるのは当たり前。
ストレスまみれなのは当たり前。
仕事が辛いのは当たり前。
仕事で、日常で、人間関係で
様々な我慢をするのは当たり前。
上の立場の人から言われたことは
黙って従うのが当たり前。
思い通りにならないのが当たり前。
好きな事で生きていけないのが当たり前。

一言で言うと「人生は辛いのが当たり前」
「生きる事は修行である」
ともよく言われているし、
たとえちょっといい事があっても、
それは長続きしないと言われいる。

楽あれば苦あり。
禍福は糾える縄の如し。
など、ことわざも昔からある。

それほどに「辛いのは普通」
「我慢できないのは忍耐力の欠如」
というのが、強く定着している。

ここから出るにはまず
これは全部本当なのか?
と、疑ってみる事から始まる。

どこかでそのきっかけがあった人は、
二度と以前には戻らない。

私がそれを感じたのは十年くらい前。
それまでは、
努力忍耐根性我慢は美徳だと思っていて、
極限まで睡眠を削って長時間働き
体を壊さないと気が付かなかった。
かなり遅い方だとは思うけれど、
それでも気が付いたからよかったと思う。

今まで信じていたことが嘘かもしれないと
一度疑いだすと色々と調べる。
その後たどり着くのは、
信じていたことのいくつかが嘘なのではなく
ほとんどすべてが嘘だという真実。


長くなりそうなので続きはまた次回。






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