共通点はちょっとでいい 人間関係や恋愛の悩みを消していく

自営業者の日常雑記

幼稚園、保育園、小学校から高校までの12年。
その中で教え込まれる事は、
多数決で決まったらそれに従う事。
なにかというとすぐに
「クラス全員で何々しましょう」
「学校全体で何々しましょう」
という事が出てくる。

自分が違う考えを持っていても、
多い方、上からの指示と
違う事は言えないし我慢して従う。

いつしかそれが普通になっていく。

そうなると、日常の中で、家族間で、
職場やプライベートの人間関係、恋愛において
無意識のうちに我慢が増えていく。

自分が周りと違う考えを持っていても、
人の顔色を見て言えなくなる。
聞きたい事、疑問に思う事があっても聞けない。
相手にどう思われるかが常に気になる。

自分が周りに対してそういう感じだと、
逆に自分が何か言った事に対して人から
「私はそれについては考えが違う」
と言われた時、
自分自身を否定された気になってしまう。

尊敬する人がいる、誰かの大ファンという時も、
その人の言っている事の中で
何か違うと感じる事が少しでも出てくると
「裏切られた!!もう無理!!」となってしまう。

何かに対して意見が違った。
ただそれだけの事で、全部一緒だったら本当は
かえっておかしいと思うけど・・・

集団の中にも色んな人がいて、
恋愛や友情など一対一の関係の中にも
それぞれ違う部分がある。
その方が自然だし、だからこそ面白い。

むしろ違う部分の方が多くても、
たとえば趣味とか好きな物とか何か一つ
共通のものがあればそれで交流は成り立つ。

これが基本になると人間関係の悩みはほぼ消える。
恋愛も人間関係の一つだから同じこと。

最後に自分の経験から考えても、
「違うのが当たり前」
「共通点はちょっとでいい」
を基本にするようになって以降悩みは消えた。
自分が我慢するか相手に我慢してもらうか
この二択しかないと思っていた昔はしんどかった。

今は、
パートナーでも友達でも仕事がらみの人間関係でも
相手の事を知らない部分の方が多いし、
知らなくても気にならない。
違う部分の方が多いとしてもそれも気にならない。
相手に合わせようとは思わないし、
逆に私に合わせて欲しいとも思わない。
違う部分は違うままでいい。

これが基本になると、
相手と考えが違っても平気で言えるようになるし
「だからどっちが我慢する?」
ではなくて、違うままでどうするか考える。

どっちが正しいかで物事を考えるのを止めたら、
争う事も対立することもなくなる。

もしその中で終わる人間関係があっても、
どちらも我慢しない道が離れる事なのであれば
それはそれでいい。
対立でも決裂でもなく、平和に棲み分ける。










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