ドキュメンタリー本【殺人犯はそこにいる】を読んで 事件の裏側と隠蔽 

読んで良かったおすすめ本

この本の内容はかなり衝撃的だった。
警察署、裁判所など国の機関には絶対的な正義があると
信じている人が読んだらショックな内容だと思う。
でもこれが真実。

この本の作者はジャーナリストの清水潔氏で、
この話は架空のものではなく徹底的に事件を追って
知り得た情報を書いたドキュメンタリー。

十数年の間に近い地域で続けて起きた幼女殺害事件。
四人の少女が殺害され、一人は未だ行方不明(2013年時点)
最初この事件の犯人とされていた男性が、
無罪を証明するまでを追っている。

著者の最終目的はそこでは終わらず、
真犯人を見つけるという事。
そして著者は、高い確率でこの人物が真犯人ではないか
というところまで辿り着く。
体当たりで取材を試み、目撃証言を集め、
地を這うような努力を繰り返した結果だった。

それでも警察は動かなかった。
途中から急に流れが変わってしまった。
この時、裏にあるもう一つの過去の事件が浮かび上がる。

表に出てはまずい事はこうやって隠蔽されるのかと
背筋が寒くなるような内容だった。
犯人とされていた男性の冤罪が証明されても、
真犯人をつかまえようという動きはなく
今、この事件はもう終わった事にされてしまっている。

この事件の犯人を特定するにあたって、
使われたのがDNA型鑑定。それと本人の自白
本来なら自白とは、本人が自分から進んで話した内容で
なければならないはず。

それが拷問に近い内容だったのでは、自白と呼べるのか
自分がやりましたと言うまで、
いつまで続くか分からない地獄のような時間は、
余程強い性格の人でもなければとても耐えられない。

密室で行われる事は、外からは見えない。
ただ、本人が自白しましたとしか外には伝えられない。

DNA型鑑定という、
もう一つの決め手となった鑑定方法にも誤りがあった。


犯人とされた男性は
自分はやっていないのだから
もう一度調べてらえれば分かる
」と言い続けた。

獄中から、外にいる人と連絡を取る手段は手紙しかない。
その手紙の中で何度も何度も言い続けた事、
その声に耳を傾ける人がいた事でついに判決は覆った。

最新の方法とされていたこの鑑定法が、
絶対ではなかったという事が明らかになった。

この男性の刑務所で過ごした十数年は帰ってこない。
その間に男性の親も亡くなっている。
被害者からは、犯人と思われたまま月日が経ち、
今も真犯人を捕まえる方向で警察が動かないからには
世間からはまだ怪しいという目で見られる。

人の人生は、こうも簡単に破壊される。。

それでもこの男性の場合は最終的には冤罪が証明された。

もっと恐ろしいもう一つの事は、この事件より前の事件。

DNA型鑑定の結果が決め手となって死刑判決を受けた男性は、
無罪を主張し続けたが覆すことができず、死刑は執行された。


その後に今回の事件と冤罪。
警察が真犯人を探す方向でいくと、
この過去の事件で決め手となった鑑定方法の危うさまで
白日の元に晒されることになる。

もしこの男性が無実だとわかった場合、
それなのにすでに死刑が執行されたことが明るみに出れば、
警察としては相当にまずい状況になる。

考えたくはないけれど、それを避けるために
今回の事件に関して色々な事を隠蔽し、
事件を終わったものとして闇に葬ったとしか思えない。



冤罪が証明された男性の例でも、
著者が地道な取材を続けて一つ一つ確かめた結果
沢山のことがわかっている。

事件現場で、その男性とは違う男性の存在を示す
目撃証言があったにもかかわらず、それは無視されていた。

証拠として、小児ポルノの裏ビデオがその男性宅から
沢山出てきたという嘘の報告が通っていた

犯行の手口、遺体を隠した場所など、
この男性が犯人であるという前提の元に後付けで話が作られていた

その状況でそこまで目撃し覚えていられるのか?
と思われるあやしい目撃証言が採用されていた
捏造された可能性も・・・

著者は、実際にその場の状況の再現も試み、
自転車での現場までの移動など時間を測って
そのやり方が可能なのか?
目撃証言通り人物の特徴が認識できるのか
など細かく調べている。

DNA型鑑定が間違っていた事を除いても、
この男性を犯人と確定するには、
状況証拠として危うい点はいくらでも出てきている。


この話は他人事ではないと思う。
「自分は何も罪を犯していないからこんな事とは関係ない」
とは誰も言えない。

殺人犯として何年も刑務所で暮らすことになったこの男性も、
真面目に仕事をして生きている
どこにでもいるようなごく普通のおじさんだった。

ある日突然、
身に覚えのない事で警察署に引っ張っていかれて
「お前がやったのだろう」と言われるような事態は
誰にも起きないとは限らない。

この程度の「証拠」と言われるもので
犯人にされてしまうこと、
DNA型鑑定を過信して疑わない姿勢、
都合の悪い証言はなかった事にする隠蔽、
筋が通らない部分はてきとうに話を作ってしまういい加減さ。

これには恐ろしさしか感じない。

これなら犯人ではない人をいくらでも犯人にする事が出来るし、
その逆もあり
だと思う。

「国の機関には正義しかない」
「もし何かで誤認逮捕などされても、
最終的にはわかってもらえる」と考えていたら甘いと
この本を読んで感じた。

けれどこの事を、暗く考えなくてもいいと思う。
今の世の中の三角のピラミッド型システムの中では、
こういう事が度々あったとしてもおかしくない。
それが真実というところを知った上で、
突き放して見るといいのかなと思う。
「国のトップ、権力のある国の機関に頼って
縋ってお願いしてさえいれば自分の人生は全て大丈夫」
という思考を捨てる事だと思う。
自分の事は自分で考え、自分で守っていきたい。

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫)

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