山に棲む存在達
樹齢数百年、中には千年以上かと思われる大木がそこら中に存在していて、大地に大きく根を張り、空に向かって枝を伸ばしている。木漏れ日がキラキラと眩しい。
大木の枝が、風を受けてザワザワと揺れた。
和人が見たことの無い植物も沢山見られ、木の幹にも、植物の葉の上にも色んな虫達が居る。
鳥のさえずりが聞こえ、美しい羽を持つ蝶が、植物の周りを飛び回っている。
花粉まみれになった蜜蜂が、花の中から飛び出してきた。
動物達が草の間を走り回るガサガサという音が聞こえ、どこからか川のせせらぎの音も聞こえてくる。この空間全てから、森の息遣いが聞こえる。
ここに立っているだけでとても心地よくて、自然に呼吸が深くなる。
そんな感覚に、和人は何故か胸がいっぱいになった。
自分が住んでいる場所も自然が美しい田舎だと思っていたけれど、それとも全く別次元だと感じた。ここには人工的な物が一切無い。
これこそが本物の自然の風景だと思った。
見ると、植物の葉の影から何かが顔を出している。とても小さいけれど、人間に近い形。
その生き物の近くにも、同じような大きさで人間のような者が、草の蔓にぶら下がっている。
よく見ると何人もいるらしい。
他にも、フワフワとした白い毛の固まりの様なものが、植物の周りを飛んでいる。
どうやら生き物のようで、丸い目があって尻尾があった。
「和人はここでもやっぱり色々見えるんだな」
リキが話しかけてくる。
和人は周りの風景に圧倒されて、リキの存在さえ一瞬忘れていた。
「村から出て山道に入った時も色んな存在が居たけど、ここでも同じだね。雰囲気は随分違うけど」
「ここは平和だからね。誰も怒ってないし。そろそろ行くか」
リキが先に立って、獣道を歩き始めた。
「ここはどういう場所なの?異世界とか?」
草や木の枝をかき分けて歩きながら、和人がリキに聞いた。
「そんなんじゃない。山奥に入っただけ。山の主に会いに行くのに、異世界に行ったってしょうがないだろ」
「まあそうなんだけど、あまりにも感じ違うから。それに途中で通ってきたあの階段とか・・・それから、門番とか・・・」
「ある一定の場所から奥へは人が入ってこないように、山に棲む存在達も色々考えてる。門番は大抵の人間には見えないから、あの入り口は誰も見つけられない。それよりもまず、あそこまでたどり着ける者は居ない。山道から入って普通に進もうと思ったらムジナが居て、入ってきた奴を化かしたりする。進んでいるつもりが気がついたら何度も同じ場所をグルグル回ってたり。そうなったら諦めて帰るしかない」
「山で狸に化かされたとか、昔話でよく聞くもんな。あれってほんとなんだ」
「動物の狸とはまた違うんだけど。化かすのは妖怪だから」
「俺が今まで見た以外にも、色んな存在が居るんだな」
「ここへ来る時上りの階段があっただろ。あれだって妖怪なんだぜ。気が付いてなかった?」
「ほんとに?生き物だとは・・・」
「布みたいな形状で、どこまでも広がれるしどんな形にもなれる。そういう妖怪も居るんだ」
「凄いな。下りる時の螺旋階段の方は?」
「あれは木の切り株から繋がってて、門番の体の一部。門番は切り株から分離して動くことも出来るんだけど、普段はいつも切り株と一体であそこに居る」
「妖怪って言っても、ほんとに色々居るんだな。人間に近い形の小さい存在も見たし。山の主っていうのも妖怪?人や動物じゃないよね」
「もうすぐそこに居るよ」
「え?どこに?」
「今、和人が触ってる」
「・・・これって木の幹じゃ・・・」
和人が触っていたのは、電信柱ほどの太さがあるゴツゴツした物だった。
下の方を見ると、それは鳥の足の形をしていた。
ものすごく大きいけれど、これはもしかして鳥なのか?
そう思って和人が見上げると、巨大で真っ黒な鳥の胸の辺りが見えて、遥か上の方に、尖った嘴と鋭い目があった。
漆黒の羽に覆われた全身の中で、嘴と目の色だけは血のように赤い。
その大きさだけでも怖すぎて、和人は腰を抜かしそうになった。
「知らなくて触ってしまってすみません!」
そう叫んで、バタバタと数メートル後ずさった。
「何だ?騒がしいな」
今度は背後から違う気配がして、和人に向かって声が飛んできた。
声と言っても耳から聞こえているわけではない。
リキと話す時と同じ、テレパシーだ。
その声の醸し出す雰囲気が、目の前に居る巨大な鳥よりもさらに威圧感があった。
振り向くのが怖い気がするけれど、かと言って見なくても余計に怖くて気になる。
和人は、思い切って声の方に体を向けた。
それは、鳥と同じくらい巨大で、狼のような姿をしていた。全身の毛の色は白く、目は金色に光っている。
鋭く尖った二本の牙が見えて、和人はまた無意識に後ずさった。
別に攻撃されたわけでもないのに失礼かと思いつつ、でもやっぱり恐ろしかった。
自分は話しに来たのだ。
何か言わなければ。
そう思うのに、喉がカラカラに乾いて言葉が出てこなかった。
嫌な汗が噴き出してくる。
「大丈夫だよ。落ち着いて。深呼吸。ゆっくり」
隣に居るリキから、励ましが伝わってきた。
和人は、緊張して固まっている全身の力を抜いて、意識してゆっくり息を吐いた。
大地をしっかり踏みしめて、深い呼吸を一回。二回。三回。
山の主と話す
そうしていると、頭に上がっていた気が下がり、だんだん落ち着いてきた。
「少しだけ、話を聞いてください。村で開発の話が進んでしまって、山の中でも何か色々あって・・・俺も村から来たんだけど、開発は止めさせたいと思ってます。その事で、山に棲んでる存在達は皆さん迷惑してるのも知ってます。怒ってるのもわかります。開発は止めさせるように何とかするので、どうか・・・もう少し待っていただけないでしょうか」
和人が言い終わらないうちに、近くで何やらボコボコと水音がし始めた。
「何?」
和人が驚いて振り返ると、リキが教えてくれた。
「すぐそこに沼がある」
水音は更に大きくなってきて、何かの気配が近付いてきた。
「え?何か動いてる?何か居る?」
「山の主は三体なんだ。沼の主も居るから」
リキから答えが返ってきた数秒後に、沼の中から巨大な魚が顔を出した。
体全部は見えなくても、水面に出ている頭の大きさからすると体長5、6メートル位ありそうに思える。
沼に住んでいるらしいこの巨大魚は、金色に光る鱗に覆われている。
ギザギザの歯が鋭くて、和人はまたしても腰を抜かしそうになった。
リキがさっき三体と言っていたからこれ以上は無いのだろうと思い、何とか気持ちを落ち着かせようと呼吸を整えた。
自分の話しの内容に怒って出てきたのではあるまいかと思うと、余計に恐ろしかった。
このままここで食われるんじゃないかと思ってしまう。
ただ、怒りは伝わってこなかった。
「人間が来たのは久しぶりだな」
巨大な白狼から伝わってきた。
「前とは違う奴か?」
「前に来たのは女だった」
沼から出てきた巨大魚と、黒い怪鳥と、三体でやり取りしている。
やっぱり怒りのエネルギーは伝わってこないと、和人は思った。
淡々と事実を思い出して話しているという感じだ。
過去の一場面とリンクする
唐突に、和人の意識の中に映像が飛び込んできた。
この場所に、今自分が立っているのと同じ場所に、若い女性が立っている。
年の頃はおそらく二十歳前後。
俺よりも十歳以上は若いと思う。
女性にしては背が高くて、体格はがっしりしている。
畑仕事をしていたような服装で、よく日に焼けていて逞しい感じ。
一つに束ねて背中に垂らしている豊かな黒髪は長く、目鼻立ちがはっきりしていて美しく、意志の強そうな内面がその表情にも表れている。
なんか雰囲気が女戦士みたいな感じだなと和人は思った。
それと同時に、自分は確かにこの女性を知っていると感じた。
なのにどこで会ったのか全然思い出せなかった。
何とか思い出そうと数秒間考えているうちに、和人はいつのまにか、そこに立っている女性の目線になっていた。
自分の意識が、自分の体とは違うところに一瞬で移動した。
不思議な感覚だった。
自分とは違う人物の内側に入った感じだ。
今自分は、この女性としてこの場を体験しているのだと和人は理解した。
空から何が来てる?
凄い速さで近付いて来ている。
上空にそれが来て、辺りに影ができた。
それくらい大きい。
凄い風圧が来て、飛ばされそうになる。
足を踏ん張って耐えた。
大きく広げられた巨大な翼と、自分の顔の数倍はあろうかという大きさの顔が見えた。
鋭く尖った赤い嘴と、血のように赤い目が光っている。
目の前に、黒い怪鳥が舞い降りた。
相手は恐ろしく大きいけれど、敵意は向けられていない。
今度は背後に気配を感じた。
敵意は向けられていないと分かりつつ、一応用心して前方に意識を残したまま振り向いた。
巨大な白狼が、すぐ近くに居た。
いつから近付いて来ていたのか。
この巨体なのに、すぐ近くに来るまで気配すら感じなかった。
やはり、敵意は向けられていない。
今度はボコボコと水音がし始めた。
そうか。そういえばさっき、水の匂いがした。近くに沼があるのか。
枯葉に覆われた水面から、巨大な魚が顔を出した。
全身は見えないけれど、先に現れた二体に匹敵する大きさ。
でもやはり、敵意を向けられている感じはしない。
「我々の姿を見ても全く動じない人間も珍しいな」
巨大魚から、そう伝わってきた。
「敵意を向けられている感じがしないから。会ってくれて本当にありがとう。私は村から来た。山道に入ってからここに来るまでの道のりでは、皆がとても怒っているのが伝わってきた。私は生きて帰れなくても仕方ないと思った。激怒しても当然の事が、行われたわけだから。今開発が進み始めていて、山に居る存在達に酷く迷惑をかけていることは私も知っている。開発を進めている者達と同じ人間として、本当に申し訳なく思う」
「怪しげな呪術のようなことをやる人間も居たようだな。最近になっていきなり入ってきて挨拶も無く、太古の昔からここに棲んでいる我々に対して、お前達は出て行けと言う」
「何も分かっていない人間が多くて、その事も本当に申し訳ないと思っている。今ここで私が謝ったからと言って事態が変わるわけではないが・・・私はあの開発を止めさせようと思う」
「お前にそんなことが出来るのか?人間の中の権力者というわけでも無さそうだが」
「私はただの村人で、権力は持っていない。けれど、出来るか出来ないかじゃなくて、やらないといけないと思う」
「見たところ若い娘だし、やはり権力は無いか。我々を見ても全く恐れない胆力と、隙の無い身のこなしは見て取れた。武術の心得でもあるのか」
「多少は。けれど、開発を止めさせるのに武力を使おうとは思っていない」
「どうやって止めるつもりか分からんが・・・我々の存在を認識出来るだけでも人間としては珍しいからな。お前ならもしかしたらやれるのかもしれんな」
「話を聞いてくれてありがとう。必ず私が何とかするから、もう少しだけ待って欲しい」
次の瞬間、和人の意識は本来の自分へと移った。
女性の目と心を通して見ていた状況から、元の自分の視点に戻っている。
隣にはリキが居て、三体の山の主に囲まれている。
「今のは・・・」
「ずっと前の、過去の場面を見たんだよ」
リキが答えを返してくれる。
「さっき、俺は俺じゃなかった。違う女の人の視点で見てた」
「誰か分からない?」
「会ったことがある気がするんだ。確かに。でも思い出せない」
「タネさんの若い頃だよ」
そう言われてみて、和人はすぐに納得した。
タネ婆さんが若い頃に、山に居る存在達と話したということは聞いていた。
戦争が終わって間もない頃で、その頃も今と似たような状況があったという話だった。
その頃のタネ婆さんの年齢を考えると、ちょうどさっき見た女性くらいだし、言われてみると確かに面影はあった。
それにしても、自分よりずっと若い時でしかも女性なのに、凄い胆力だなと思った。
今のタネ婆さんを見ても気骨のある人だと思うけれど、若い時からあんな感じだったのかと妙に納得した。
