生きづらさについて考える④ 暗黙の了解と無言の圧力

自営業者の日常雑記

子供の時は学校で規則がいっぱいあったり
規則以外でも暗黙の了解のような決まりも
多かった。

それが大嫌いだったので
大人になり自分で働く日は待ち遠しかった。

色んなバイトを経験したり、
最初に長く続けた京友禅の仕事は
好きと思える仕事だった。
働けばお金ももらえるし子供の頃よりずっと良かった。

でもまだ思う事はあった。
職場に対してというより社会全体に対して。

学校の規則のようなはっきりしたものはなくても、
暗黙の了解のような決まり事があるのは
社会に出ても変わらないのか・・・・

法律で決められているわけではなくても、
何となくこうでないといけないという空気というのか
そういうものが世の中には多い。

よく言われる言葉として

人様から何と思われるか

そんなの常識だから

普通そうだから

皆そうしてるから

皆言ってるから

こういう事の全てが私にはしんどかった。
「皆」って誰だよ?

人の事を根掘り葉掘り聞いてくる人、
聞くだけにとどまらず
ああした方がいい、こうした方がいい
それはしない方がいい
など
どうでもいい細かい事に関して
いちいち言わないと気が済まない人。
世の中にはそういう人がいると知った。

何々した方がいいという言い方は、
一見強制的ではないように見えるけれど
その裏には「当然そうするよね」という
無言の圧力が潜んでいる。


その証拠に
自分の言う通りにしたかどうか後から確認し、
していないとわかると不愉快さを露にする、

「せっかく言ってあげたのに・・」という感じで。

あなたのためを思って言っている」というのも
よく使う人がいる。

ものすごくうざい。
こっちは頼んでねーよ!!としか思えなかった。

私は子供の頃、若い頃、これを言われるとすごく
嫌だったので人には絶対言わないと決めている。

言われたら無視すればいいと気が付いて以降
気にしなくなったけど、
こういう事で苦しんでいる人は多い。

細かい事でいちいちお互いに干渉し合わない
世の中になって欲しい。

それでも、困った時は自然に助け合うという
気持ちの繋がりが消える事は無いと思う。


頼まれてもいないのにいちいち干渉することは
親切や優しさではない。
押し売りは要らない。

人と自分は違うという当然の事を
普通に認識している人が増えたら、
世の中はもっと平和になるだろうと思う。

まあ全部が変わらなくても
干渉してくる人からは離れる、近寄らない
という事で自衛することはいつでもできる。

気持ちのいい毎日を過ごそう。


続きはまた書きます(*^^*)



 

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