自分は何で生まれてきたのか?
何をしに来たのか?
という疑問を持つ人は多い。
「自分探しの旅」とかも、よく言われてきたように。
占いの仕事を始めてから以降二十数年の間にも、
この仕事をしていなければ会えなかったであろう
沢山の人と会うことが出来て、その間にも思った。
この疑問を持つ人はとても多い。
中には、ものすごくやりたいことが最初から決まっていて
尚且つそれを仕事にしていて
「この事を成し遂げるために自分は生まれてきて、
今も生きている。成し遂げることさえできたら、
後の命は要らない」と言う人もおられるけれど。
仕事のプロジェクトでも何かの研究でもスポーツでも格闘技でも
「これのためだけに生きている」
と言い切れるほどやりたい事がはっきりしていて、
他の全てを二の次にしても真っ直ぐにそこだけにフォーカス
出来る人には、一切の迷いは無いように見える。
成し遂げるまでの途中段階での試行錯誤はあっても、
必ず成し遂げると決めているのも分かる。
こうなったら達成するんだろうなと思う。
占いでもやっぱりそのように出てくるし。
けれど、こういう人は全体から見ると少数派。
こういう生き方を見て周りは皆んな
「凄い」「かっこいい」「立派」と言うし、
逆に自分をその人と比べて
「それに引き換え自分はめちゃくちゃダメな奴」
と落ち込んでしまう人もいる。
けれど・・・
突き詰めていけば善悪の定義というのが曖昧なのと同じで、
何が凄くて何がダメなのかという基準はそもそも存在しない。
世間的に見て「凄い」と言われる生き方をしている人は
確かに一定数いるけれど、
自分がそうでないからといって「ダメな奴」かというと
全然そんなことは無いわけで。
その人はその人で「その体験をすると決めて来た人」で、
その内容が早くからはっきりしていたということ。
それはそれでいいと思うけれど、
そうでなければならないというのは違う。
本当にそれをやりたくてやっている人は
「周りから凄いと思われたい」という理由でやっている
わけでは無いし。本当に没頭し、突き詰めて、
生涯をかけてやろうとするモチベーションは
「凄いと思われたい」くらいの理由ではとてもじゃないけど
持続しない。
自分はそうじゃないという人が、その人達と何が違うかと
いうと・・・
ものすごくざっくり一言で言うと、やりたいと決めてきた
体験の内容が違うだけだと思う。
その内容に、いいも悪いも無いし、凄い凄くないも無いわけで。
これも刷り込まれた思考だけれど、
常に世間的評価を気にしたり人と比べるから
「自分が何をしに来たのか」分からなくなる。
周りの誰々がどうとか、
周りと比べて自分はどうとかいう思考を全部手放して、
子供の頃まで遡って夢中になっていたことを思い出してみると
見えてくる事も多い。
「何をしに来たのか?」の「何」にあたるのが、
お金を稼ぐ事につながる仕事でなければいけないとか、
そうでないとしたら世間から一定の評価を得られないと
いけないとか、思い込んでいる人も多い。
そこで引っ掛かっていると、そこから先へは思考が進まなくなる。
そして行動も出来なくていじけて終わってしまうのでは、
せっかく生まれてきたのにもったいないというもの。
これがやりたいという職業名も浮かばないし、
これに没頭しているというほどの趣味も無いし・・・
で止まってしまう人も多い。
そういう狭い範囲で考えなくても、
もっと範囲を広げてみると何かしらあるはず。
例えば自分以外の存在との交流で考えてみると
思いっきり恋愛をしにきたとか、
友達を沢山作って色々なタイプの沢山の人と交流しにきたとか、
人間以外の存在と交流しに来たとか、
家族を持つ体験をしに来たとか、
逆に戦いの体験をしに来たとか・・・
他には、世界各地を旅しに来たとか、
国内の色々な場所を旅しに来たとか、
色んな趣味を広く浅く楽しみに来たとか、
物作りをしに来たとか、
歌う踊る演じる演奏する話すなどで自分を表現しに来たとか、
情報を発信しに来たとか、
色んな食べ物を食べに来たとか、
色々な遊びを体験しに来たとか、
こういう場所に住む体験をしに来たとか、
こういう日常生活を送りに来たとか・・・・
「こういう体験」を言葉で言えば誰かと同じになる場合でも、
その内容は一人一人必ず違う。
この宇宙で唯一無二の体験になる。
どんなことであっても全ては何かを表現していることで、
今の人生での体験は、
肉体を持たないと体験出来ない貴重な体験でもある。
今の自分というキャラで体験出来るのは、ただ一度だけ。
「自分の果たすべき使命は何か?」とか思わなくても
「せっかく遊びに来たんだから、沢山遊んで帰ろう」
と思ってみると楽しい。
遊ぶというと「怠惰な」「いい加減な」「不真面目な」
といったネガティブな印象を持つ人は多いけれど、
何かを成し遂げるために邁進している人だって
「真剣に遊んでいる」とも言える。
肉体を持って、その中で決められた一定のルール
(年を取ること、寿命があることなど)の中で、
自分の持ってきたツールを使って
自分のやりたい事を体験するゲームみたいなもの。
「自分は何のために生まれてきたのか?」で悩む人は多いけれど
