私達人間が「これが自分だ」と思っている肉体は
自分そのものではない。
言葉で表すとすれば、自分とは
今の自分○○○(名前、性別、見た目など)という
体験をしている無限の意識だということ。
この事から考えると「思考が現実を作る」というのは
当然のことで、無限の意識である自分が思考すること
によって、自分の体験したい現実をどのようにでも
作り出すことが出来るということ。
周りの誰が、どんな策略を用いて、どんな世界を
作ろうとしていたとしても、それに関係なく。
こういうことを言うと「現実逃避」と言われることの方が
多いけれど、そもそも「現実」とは?そこから考えると
「現実逃避」という言葉にも矛盾を感じる。
肉体というのは、人間にとっても
人間以外の肉体を持つ存在にとっても、
それが自分の本体ではない。
本体は何かというと意識体。
ワンネスというのは、
この宇宙の全ては一つの意識で、
元々は全てが繋がっているということ。
繋がっているところから分離して、
自分の思考によって作り出しでた世界で
それぞれの体験をしている。
この「体験」が「現実」と呼ばれるもの
だとすると、それは一人一人違うはず。
けれど今、
「今の世の中の状況に対して、不満を感じている」
という人の中でよく言われているのが、
現実こういうことが起きているから→
一人一人の力は弱くて小さくて何も変えられないから→
沢山の人数を集めて団結して組織を作って→
強いリーダーについていくことで→
支配層と戦って勝とう!!!という流れの発想。
もしくは、
支配層にやられている哀れな人類を救ってくれる
強い存在達が宇宙からやってくるとか。
これって、支配層の彼らが作っている形と同じでは?
と思ってしまう。
個人よりまずは組織ありきで、強いリーダーがいて、
他の人達はその人についていくという
上下関係を基礎とするピラミッド型。
リーダーの誰々さんは「選ばれた人」だから、
この人についていけば大丈夫なんだ!!という
感じの話にも疑問。
選ばれた人とそうでない人がいると言う時点で、
ワンネスという事から考えると大きな矛盾。
トップのリーダーがいて、
その下にサブリーダーがいて、
その下はその他大勢という軍隊のような形。
その人数が支配層より圧倒的に多ければ
戦いに勝てるという話?
最終的に武力行使による戦いとなれば、
最新の武器と情報網を持つ支配層の彼らの方が
得意とするところでもある。
外から来た存在に救ってもらわないと助からない
という発想も「小さくて弱い自分」という思考から
離れていないと思う。
自分個人というのは弱くて小さい存在だから
という理由で「人数を多く」「組織化」「団結」
「強いリーダーについていく」という発想も、
そもそも、自分という存在=この肉体という思考から
離れていないのでは?
その思考を土台にしていくら人数多く集まって
団結して組織を作ったところで
「リーダーの指示が無ければ自分は動けない」
「組織が無ければ、人数が多くなければ無理」
というところから出られないのであれば、
自分以外の何者かにコントロールされる体験は
続いていくと思う。
組織が大きくなればなるほどその中でまた分断が
起きて、派閥が出来て、また戦いが始まる。
今と何も変わらないエンドレス。
それが好きな人はいいけど。
本体は意識体である自分自身と
宇宙全体はイコールであり、
自分自身の中に宇宙が存在する。
全部は一部であり、一部は全部でもあるわけで。
これは全ての存在にとって言えること。
「ちっぽけで弱い自分を守ってくれる多人数の組織」や
「弱く愚かな自分を導いてくれる強いリーダー」は
必要無いはず。
特別な存在と言われる誰かを求めて崇めたり、
導いてもらってついていく必要など本来無い。
まずは自分自身の中で、
この人生でどういう体験をしたいのかしっかり決めて、
誰に隠すことなく堂々とそれに沿って日々を暮らし、
生きていれば、考えが近い人とはいつの間にか
縁が出来たりする。
そうなってくると、またそこで交流が生まれて
思考の共振が起きて、そのエネルギーは自然に
拡大していくと思う。
「あれ?気が付いたら管理社会とは違うところで
生きてた」という体験がしてみたい。
支配層が仕掛けてくる茶番がどんなものか
知っていたとしても、
自分個人ではそこから逃れられないという
思考は違うと思う。
組織、リーダー、集団を求めなくても・・・
