てきとうに周りに合わせるのが昔からできなかった でもそのままで生きていける

自営業者の日常雑記

本当はそう思っていなくても、
周りの大多数の人が言っている事の方に
合わせておいた方が無難
まして客商売なら、
なおさらそこは合わせておかないと
いけないところ。
これが世の中で普通と言われている「常識

思い返せば子供の頃から、
どうしてもこれが無理だった。
学校でも、集団行動とか
「全員一緒にやりましょう」
「クラス全員で一致団結」
とかいうのがどうも苦手だった。

興味のある事、やりたい事、好きな事
嫌いな事、苦手な事、皆違うはずなのに何で
全員一緒にやらないといけないのか???

周りに合わせることができるようになるのが、
大人になることだと世間では言われている。

年月が経てば自分もいつか自然に、
そういう考えになるのかなと思っていた。
けれど何十年経っても、
そこは一向に変わらないので途中で諦めた。

こういう人間が会社勤めなど
出来るわけがないので、
会社に行かなくていい人生を選んだ。
それからさらに数十年。
とくに困ることもなく無事に生きている。

たしかに、
誰からも好かれるという状況にはならない。
嫌なやつだと思われているほうが、
多いかもしれない。

でも、生まれてから死ぬまでに
一体どれだけの人と接点があるのだろう。
仕事での人間関係を合わせても、
そんなに多くはない。
せいぜい数万人というところではないだろうか。

さらに
そこそこ近しくなるというところまでいく人というと
せいぜい百人程度なのではと思う。
仕事や立場によっても変わってくるかもしれないけど、
自分の場合で言うとそれくらいで上等と思っている。

仕事での接点も、一度きりでもいいし、
繰り返しご来店いただけるならそれはそれでありがたい。
逆に、
どんなに長く繋がりがあった人が突然去っても
それはそれで一向にかまわない。

これは仕事でもプライベートでも共通。
お互いの考えが違った時、別に戦いたくない。
なのでこっちが正しいと主張する気もないし、
相手に合わせる気もない。
黙って去ってくれるのが一番ありがたい。

若い頃は
大多数の人の意見はこっちだから
あなたは間違っている
」という、
私からすると何の説得力もない理由
色々言ってくる人がいた時期もあった。

世の中では「言われるうちが花
ということもよく語られていて、
言われなくなったら終わり」だとか
言う人が多いけど・・・
本来これは、
主に仕事上の技術的な事についての
話ではないかと思う(推測だけど)
これを「世間の常識」に当てはめて
語るのは違うんじゃないかと思う。
世の中ではこうだから、
大多数の人の意見はこうだから、
あなたもこうしなければいけない」
その後に、
「こうやって言われているうちが花。
言われなくなったら終わりである」と。

その通りだとすれば私は今、
すでに終わったやつになったというわけだ。
けれどそれで、何も困っていない。
花でなくても生きていられるらしい。

若い頃はまだ
「今なら正しい方向に導いてあげられるかかも」
と思っているらしき人から色々言われていた。
それが年をとるごとにだんだん言われなくなり、
ついに全く言われなくなった。

年寄りになると、
あの年まで生きてきて変わらない頑固者は
もう無理だからと諦められているに違いない。
こちらとしてはこれも大変ありがたい。
年をとるのも悪くないもんだと思う。

仕事でもプライベートでも
これくらいを貫いていて、
一人になってもいいやといつも思っている。
けれど案外それでも、
人との関わりというのはあるものだ。
それはそれで、すごくありがたいと思う。

干渉してくる人とは無縁であり、
それでいて程よく人との関わりはある。
大変満足でこれ以上のことはない。

今生きづらいという人も多い世の中。
常に周りに合わせないと生きていけないと
強く思わされている事も、
子供の頃から続く刷り込みの影響かと思う。

本当は、
どこかの誰かが自分のことを
悪く言っているかもしれないとか
思っているかもしれないとか
一切気にしなければ、
誰もが楽に生きられるはず。

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