短編小説 私が死んだ日

オリジナル小説 エッセイ

ちょっと疲れたかも。

座って休もうか。

私は、平たい石の上にゆっくりと腰を下ろした。
栗の木の根元にあるこの石は、私のお気に入り。
ひんやりとした石の感触か心地良い。

木の幹に体を預けて、空を見上げる。
入道雲が浮かんでいる。

夏らしい空。

私が生まれたのも夏の日。 

何度も何度も夏を迎えて・・・気が付いたらこの年になっていた感じ。

休んでいるうちに眠ってしまったのか・・・

フッと意識が遠くなったあと、なんか体まで軽くなった感覚。

元々これといった病気も無いし、年のわりに元気な方ではあるけど、最近ちょっと階段の上り下りが辛くなったり、腰や膝が痛むこともあった。
それが今は、全然辛くない。痛いところも無い。何が起きたんだろう。

体全体がフワッと軽くなって、何だか一気に若返った感じ。

え?

私・・・空中に浮かんでる?

足の下に地面がある感じがしない。

それどころか、地面が遠く下に見える。

いつの間にこんな状況に?

私の体は、確かに空中に浮かんでるらしい。

そして更に驚いたことに、私は間違いなく上空に浮かんでるのに、見下ろした場所にも私らしき存在が居た。
今、栗の木の根元に寝転んでいるのは、確かに私。

私はここに居るのに、なんであそこにも私が居るわけ?

待てよ。私の身体があそこにあるって事はもしかして・・・ここに居るのは身体じゃなくて私の意識?

もしかして、身体から意識だけ抜け出したってこと?

これって何だろう。
この感覚。

初めてじゃない。
そう。体感的に覚えている。

ずっとずっと昔、私がまだ子供だった頃。
夜寝ている時の体験。
気が付いたら、天井くらいの高さから、部屋を見下ろしていた。
自分の意識は、確かにその位置にあって下を見ている。
見下ろしているそこには、布団に寝ている自分の姿があった。
『え?何これ?私は確かにここに居るのに、なんで私が下に寝てるわけ?
今布団で寝てるのは・・・私・・・だよね。やっぱり』
どういうわけか自分の意識だけが肉体から抜けて、天井まで上がったらしい。
そう気が付くまでにしばらくかかった。

その日を境に、夜寝ている時に同じような体験を何度か繰り返した。
自分で望んでそうなるわけじゃなくて、気が付いたら抜け出してる感じ。
抜け出す時はいつのまにかで、ほとんど無感覚なのに、体に戻る時は、回転しながら高い場所から落ちていくような感覚と、最後にドンという衝撃が来る。

あれが幽体離脱というやつだと、何年か後に知った。

今、ちょうどあの時と同じ感覚。

この場所に座っているうちに気持ち良くてウトウトして、そのうち熟睡してしまった事は今までにも何回かあったけど。
その時も色んな夢を見て、起きた時ここが何処か一瞬分からなくなったこともあったけど。
だけど今は、それとはどこか違う感じ。

そう思った次の瞬間、庭の木に登って遊んでいる私の姿が見えた。
見えたと言っても視覚で捉えているわけではない。
これって何?私の頭の中の映像?

今見えているのは幼い頃の私。
「美弥」
私を呼んでいる、お母さんの声が、聞こえる。
「ご飯冷めるよ。降りておいで」
「はーい」
私は元気よく返事をして、木の幹を伝って降りる。
登るより降りる方がちょっとだけ怖い。

この家で生まれた私は、木に登ったり、土をこねて何か作ったり、花を摘んで遊んだ。
草の上に寝転んで、何時間でも空を見上げていた。
山の間から太陽が顔を出す夜明けの瞬間が好きで、晴れた日には青い空をバックに刻々と変わっていく雲の形を見るのが好きだった。
夕焼けの美しさも、夜になると見られる満天の星も。
山には色んな形の木があって、沢山の種類の草花が生えていて、狸、きつね、うさぎ、鹿なんかもよく見かけた。鳥もたくさん来ていた。
生まれた時からこの環境だったから、あの頃はそれが当たり前過ぎて特に何も思わなかったけれど・・・大家族だったから、おじいちゃんおばあちゃんも居て、近所の人も皆んな顔見知りで、保育園とか行かなくても皆んなが面倒見てくれたし、年上の子がよく遊んでくれた。
私も少し大きくなると自然に年下の子供達の面倒を見ていた。
神社やお墓で遊んだこと。
缶蹴り。
陣取り。
メンコ。
竹馬。
初めて自転車に乗れた時の嬉しかったこと。
片道5キロ位の道のりを自転車に乗って小学校に通った事。

色んな場面が次々と通り過ぎていった。

中学生になって、急に学校の規則が増えたりしてちょっとずつ学校が嫌いになっていったこと。
テレビドラマなんかを見て、都会の生活に憧れる気持ちが出てきたのもこの頃。
高校へ行くと中学校よりはちょっとだけ自由な感じだったけど、それでも学校は大して好きじゃなかった。
早く大人になって働きたいっていつも思ってた。
卒業して、街へ出て、念願の一人暮らし。事務系、物作り、接客、軽作業などバイトを色々経験して、しんどい事もあったけど、学校よりはずっと良かった。

映画でも観ているように、その頃の日常の場面が次々に目の前を通り過ぎる。

自分で働いてお金を得て、自分で暮らせる事に私は満足していた。
恋愛もそれなりにあったけど、同棲とか結婚まではいかなかった。

付き合った相手との楽しかった場面も次々浮かんでは消えていく。

おじいちゃんが亡くなった時。
おばあちゃんが亡くなった時。
それ以外でも田舎へは年に一回位帰ってたけど、若い頃はまだ街中の暮らしの方が楽しいと感じていた。
仕事に、趣味に、恋愛に、新しくできた友達との交流に、それなり充実した毎日を過ごしているうちに、月日はどんどん過ぎていった。

再び田舎に住むことになったのは、それまで元気だったお母さんの体の具合が悪くなってきた時で、私はもうすぐ五十歳を迎える頃だった。
子供五人の中で唯一男性の兄は海外で働いているし、姉三人は他府県に嫁いでいて子供も居る。
一番身軽な私が帰るのが都合が良かったし、街中での生活にそろそろ疲れてもいたから帰る事に抵抗は無かった。
それから一年経たない間にお母さんは亡くなってしまったけど、八十歳半ばまで生きてくれたし、最後の一年一緒にいられたことが本当に良かったと思えた。

そこからは、お父さんと動物たちとの田舎での生活が続いた。
再び始まった田舎での生活の場面も、次々と通り過ぎていく。

家にいた犬や猫。
よく見かける山の動物や鳥達。
お父さんと二人で畑を耕しているところ。
草刈り。
薪割り。
食べられる野草を取りに行って、料理して食べたこと。
お父さんは九十二歳まで生きて、前の日まで元気だったのにぽっくり亡くなってしまった。
寂しさはあったけれど、命が終わる時って、あんなに穏やかで自然なものなんだって思った。

それからずっと一人でのんびり暮らしてきた私は、気が付いたらお父さんの亡くなった年に近くなっていた。
もういつお迎えがきてもおかしくないなと、ふと思うことも最近はよくあった。
家の犬や猫や鷄達は半分野生化してるし、私がいなくなってもきっと大丈夫。
私には子供も居ないし、この家は国のものになるのかな。
兄も、姉達も、親しい友達も、皆んな先に逝ってしまってるし、この年まで自分が生きるとは思ってなかった。

私の人生のドラマの場面は、ここに来てフッと途切れた。

ここまで?そうか・・・もしかして、さっきのが走馬灯ってやつか。

今って、私の人生の終わり?
けっこうすごい速さで、幼い頃から最近までの人生の場面が、ザーッと通り過ぎていった。
速いんだけどしっかり認識出来てたし、なんかすごく濃い感じで、これまでの人生をもう一回最初から体験し直したような感覚。

深い充実感。
満足感。
何か大きいことを成し遂げたとかそんなのは全然無いけど、私は私の人生を、自分の思うように歩んできた。
興味を持ったら何でもやってみて、体験したい事は片っ端から体験してきた。
後悔は無い。
楽しかった。

肉体を離れる時ってもっと苦しいのかと思ってたら、あまりにも呆気なくスッと離れたから、離れた事にすら気がつかなかった。

私は今日、死んだってわけだ。

死んで肉体から離れたんだから、自由自在にどこでも行ける。

もっと上に。

そう思った瞬間、さっきより高いところから地上を見下ろしていた。

そのままスーッと移動する。

人は亡くなる時、親しかった人やお世話になった人にお別れの挨拶をしに行くとかよく聞くけど。私にとってのそういう人は皆んな先に死んでしまったから、特に挨拶に行く先も無い。
だったらどこへ行く?
死んだら三途の川を渡るとか、前に死んだ誰かが迎えに来てくれるとか、神様のところへ行って「生きている時あなたはこういう事をしたから天国に行ける」とか「地獄行き」とか決められるとか・・・聞いた話は色々あるけど・・・
前後左右、周りを見渡しどうもそれらしき場所は見当たらないし、誰も迎えに来ないんだけど。

ただ何となく漂っている私は、一体どこへ行けばいいんだろう。

このままここでウロウロしてたら、幽霊っていう奴になってしまうかも。
別に、この世に何か恨み事があるわけでもなし、未練を残す何かがあるわけでも無いし、幽霊になる必要無いんだけど。

どこへ行けばいい?
と言うか、私、どこから来たんだろう?

どこから・・・そうか。

今回この体験しに来たんだっけ。

あんまりリアルだし、思いっきり没頭してたけど。

物質として感じられる人間の身体を持って、生まれて成長して年老いていく、一生の時間に限りのある中での体験。
生まれる環境も、親も、今の性別も見た目も性格も特徴も、この体験をするために私が選んできた、一回限りのもの。
さっきまでの身体は、人間の体験をするための乗り物みたいなもの。

滅多に人も来ない山奥だから、誰かに見つけられるのは随分先かな。
あの場所に、あのままになってるけど・・・服は自然素材の物だから環境を汚すことは少ないと思うし、動物さんが食べてくれてもいいんだけど、年寄りだから硬くて美味しく無いかもね。
自然に朽ちて土に還ってくれるかな。

思い出した。
今あるのは、全体意識から分かれて人間の体験しに出てきた私の意識。

さあ。帰ろうか。

人間の体験、めちゃくちゃ楽しかった。

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