昭和40年代の田舎の風景
私が生まれたのは昭和42年。
0歳1歳の時の事はあまり記憶に無いから、覚えている範囲というのはそれよりもう少しあとの事になるけれど(昭和中期頃)その頃の事を書き綴ってみたいと思う。
子供の頃育ったのが田舎だった事もあるけれど、まだ自然が豊富だった。それしか知らなかった頃は自分にとって当たり前すぎて、その美しさと豊かさに気がついてなかったけど。
電線なんかも気にしないで良くて、正月には凧揚げも出来た。春には田んぼに蓮華の花が沢山咲いて、摘んで集めたり蜜を舐めてみたりした。
擦り傷切り傷が出来た時は、その辺に生えているよもぎの葉っぱを取ってきて石で叩いて潰したり手で揉んで、よもぎの汁を傷口に塗った。その頃は何も考えず、何となく見よう見まねでやってたけど、後から調べてみると本当にけっこう効くらしい。
砂場で遊んだり、木に登ったり、土をこねて団子を作ったり、河原で石を集めたり積み上げたりして遊んだ。
こういう環境の素晴らしさに気付いていなかった子供の頃から若い頃は、むしろ都会に憧れていた。これも今思えば、そうなるように仕向けるメディアからの情報が溢れていたからかと思う。
当時、田舎ではまだアスファルトの道は珍しく、舗装されていない道がほとんどだった。歩道を示す白線とかも無い。土の道と、そして田んぼのあぜ道。車はほとんど通らない。オート三輪がまだ活躍していた。
子供の頃、信号機という物を初めて見た時は、あの巨大な機械は何だろうと驚いたのを覚えている。
夏の暑さというのも、この頃は今と比べると随分マシだったと思う。エアコンなんてもちろん無いけど、暑くて寝られないような日は無かったし。井戸水や川の水で冷やす西瓜は美味しくて、扇風機の風でも十分に涼しかった。室外機からの熱風も無いし、土の地面なのでアスファルトからの照り返しも無い。田舎だったので、家と家の間隔もけっこう広かったし、そんなこともあって今の夏とは全然違ったなあというのを思い出す。
トイレと掃除と電化製品
トイレは家の中でなく、外にあるという造りの家も多かった。学校のトイレもそうで、トイレだけ独立して外にあった。木の床をくり抜いた長方形の穴があいているだけ。汲み取り式だったので、たまに跳ね返りが来る。当然ハエが多いので、少し離れた隣が教室だと給食のパンによくハエが止まっていた。そういうものだと思っていたから気にしたことは無かったけど。
トイレットペーパーなんてもちろん無いし、新聞紙を四角く切ったやつが紐に通してぶら下げてあった。それを使う前に手で揉んで少し柔らかくして使っていた。家では新聞紙ではなくて、落とし紙という四角い紙を使っていた。いつからか売ってるのを見かけなくなったけど。
洋式トイレを初めて見たのは十代の初め頃で、人の家に行った時だった。何という奇妙な形の物かと思い、どうしていいか分からなくてとりあえず蓋を開けて、蓋の方を向いて便器にまたがって用を足した。その時は、こんな使いにくい物を何で使うんだろうと信じられない思いだった。
学校の掃除は、木の床を箒で掃いて雑巾掛け。家の掃除も、私が子供の頃は同じような感じで、布を束ねたハタキなんかもあった。
洗濯も、たらいと洗濯板、固形石鹸を使ってやるのが普通だった。私は10代終わりから20代に前半には、風呂無しアパートに住んだ事があるので、その時も洗濯は手でやっていた。一人分の洗濯物ぐらい、たかが知れているので。
田舎でもしばらく後には、洗濯機、掃除機が登場した。ほとんどどこの家にもこういう電化製品があるようになったのは、昭和40年代くらいからかと思う。電話は、ダイヤル式の黒電話だった。通信手段というと、電話か手紙、葉書くらいしか無かったので、今よりもずっと文字を書く機会は多かったのを覚えている。電話番号も、よくかける家の番号は記憶していた。今は、自宅の電話番号すらよく忘れるけど。便利な機能が多くなり、文字を書くことも、覚えておく事も必要なくなってきた影響か・・・そう思うと、便利になるほど素晴らしいのかどうかも疑問に思えてくる。
テレビは、大衆食堂や銭湯に行くと置いてあった。各家庭にテレビが普及し始めたのはもう少し後で、東京オリンピックの頃からというのも後から聞いた。私が生まれる少し前の昭和39年。家にテレビが来たのはそれから10年後くらいで、私が小学校低学年の時だったかと思う。
当時のテレビは白黒で、下に足が四本付いていて全体がすごく大きい割に画面が小さくて、ガチャガチャと手で回してチャンネルを変える。父親が、ボクシングの試合や高校野球を見ていて、私は主にアニメの番組とか見てた記憶があるけれど、一日中テレビのスイッチを入れている家では無かったので、ニュースを見た記憶は少ない。
食生活
田舎だったこともあるけれど、田植えや稲刈りの季節になると学校を休む子がいるのは当たり前だった。日常の家の仕事、田植えや稲刈りの手伝いの方が優先。学校でも田植えの体験、畑で野菜を作る体験、蚕を飼う体験など色々やらせてもらえたのを覚えている。
初めてのバイトは小学校の終わり頃で、牛を30頭くらい飼っている家の牛小屋の掃除だった。遊びに行ったりもしていた家で、バイトは楽しかった。その頃のお金としてはけっこうもらえたし。
スーパーやショッピングモールのようなものは無く、夕食のおかずを買いに行くにも皆んな買い物籠を持って、八百屋、豆腐屋、魚屋、肉屋、雑貨屋(調味料、菓子)などを、一軒ずつ回っていく。
その日のおすすめが聞けたり、魚はその場でおろしてもらえたり、店の人との会話も多い。子供の頃、時々親について行って、買い物ってそんな感じなんだと思っていた。
米も当然個人店で買う。家で、米や野菜、果物を作っているという人も多くて、近所から何かもらうというのもよくあることだった。昼間は家の鍵なんか誰も滅多にかけないし、勝手口とか開けっ放しだったりするので、入口に野菜が置いてあることも。沢山できたら配るし、留守なら置いていくから「誰かくれたみたい」ってすぐ分かる。
誰がくれたのか分からなくてもあまり気にしない。今だったら、誰かが黙って置いて行った食べ物なんか「毒でも入ってるんじゃなかろうか」って、なるけど、この頃はこれが普通。置いてある物はありがたくいただいて料理して食べる。逆に自分のところで作って余ったら近所に分ける。
漬物や梅干し、梅酒なんかも家で作るのが普通。出汁用のカツオブシも、木の箱みたいなやつに刃がついた削り機があって、それで削った物で味噌汁の出汁を取っていた。
私は十歳くらいになると、一日30円の小遣いをもらって駄菓子屋で菓子を買うのが楽しみだった。大抵の家はこれくらいで、100円もらってる子がごくたまにいて「すごい金持だ」と思ったものだ。当たり付きのアイスクリームがあったり、ジュース、飴、チョコレート、ガム、透明のプラスチックの入れ物に入ったイカやフライなんかがあった。
この頃はパンはあまり見かけなくて、数年後ぐらいには駄菓子屋に菓子パンが置いてあることもあった。クリームパン、ジャムパン、アンパンなど。専門のパン屋さんというのは、そういえばあまり見た記憶がない。
けど、学校の給食はパンだった。長くて大きいコッペパンで、ジャムやマーガリンがついていた。先割れスプーンで、パンを割いて中にジャムなどを塗る。揚げパンの時が一番楽しみだった。パンに牛乳なのに、おかずは和風だったり変な組み合わせの時もあったけど、おかずもけっこうたっぷりあってそれなりに美味しかった。
普段、屋台で売りに来るのは、ラーメン、焼き芋、ポン菓子など。年に二回ほどある祭りは小さな規模で、近くの神社なんかでやっていた。こんにゃくに味噌をつけたおでん、麩菓子、綿菓子、太鼓焼き、たこ焼きなどの屋台が出て、くじ引きや射的もあった。御輿が通るのを見に行ったりして、祭りは大きな楽しみだった。
都会の事情は良く知らないけれど、田舎では、外食というのはほとんど無かった。私が子供の頃には、駄菓子屋とかはあったけど、外食が出来る店というのをあまり見かけたことが無かった。外で食べるという習慣そのものが少なかったように思う。
食事は家で作って食べるのが通常。買い物籠を持って買い物に行き、その日に使う食材を買う。今では、週末に車でショッピングモールに行って一週間分まとめて買う家も多いみたいだけど、この頃は、そういう習慣は存在しなかった。米や野菜などをもらえる事も多いし、買うにしても歩いて行ける近所の店で買うから、まとめて買う必要もなかった。魚が沢山釣れたからと、分けてもらえるということもあった。
メニューは、ご飯、味噌汁、漬物に、おかずが1〜2品が通常。メインのおかずは、焼き魚、煮魚、天ぷら、卵焼き、コロッケ、ハンバーグなど。もう一品ある時は、ひじきの煮物、酢の物、卯の花あえ、白和え、冷奴なんかがあった。炊き込みご飯、丼物、カレーの日もあって、けっこう色々食べていた気がする。
野菜や果物は季節ごとに出てくる物が違って、その時地元で採れる旬のもの。今のように一年中同じ物が売っているということは無かった。
お金と仕事
今思い出してみると、暮らしていくのにそんなにお金がかからなかった時代だった。周りも皆んなそんな感じだから、外食をしないのが特に質素な暮らしだとか思った事もなかった。
女性は専業主婦だったり、家業が農業とか個人経営の小さな店で、家族で経営しているような所が多かった。男性も、満員電車に乗って毎朝遠くまで行く人はほとんど居なくて、地元での農業や林業、家の商売に携わる人が多かった。地元で勤める場所というと郵便局と役場ぐらいしか無いから、会社員という人は少なかったと思う。
なので、昼間から誰も居ないというような家は無かった。常に家には人が居て、子供の数も多くて三人四人は普通だった。子供が塾に行くような習慣も無いから、子供は近所で遊んで暗くなったら帰ってくる。母親が家にいるか、商売人の家なら両親とも自宅兼店舗に居るし、祖父母も居るという家も多かった。近所の人同士もみんな顔見知り。
そのせいか、家を開けっ放しにしていても平気だったし、犯罪なんか滅多に起きなかった。私が覚えている限りで、家に泥棒が入ったという事すら聞いたことがなかった。生活と仕事が一体というか、近くにあるというか・・・会社に勤める事が生活の中心という今の世の中とは、随分違っていた。ゆったりとした時間が流れていたように思う。
もう少し後になって両親が車の免許を取ってから、街まで車で1時間ほど走って、そこで外食とかスーパーで買い物をするという体験をしたことは覚えている。行くのは2~3ヶ月に1回くらいだったけど、初めてスーパーというのを見た時はものすごく驚いた。
今思えば、レジが一つで間に合っているような店なので、大きくはなかったはずだけど。それまで個人商店しか見たことがなかったから、何と大きい建物かと思ったのを覚えている。プラスチックのカゴに品物を入れてレジで払うというのも、何やら不思議な感じがした。
街中と言っても、今のようにどこにでもカフェがあったり、世界各国の料理が何でもあるような状況とは全然違っていた。昔ながら喫茶店の飲み物はコーヒー、紅茶、コーラ、クリームソーダなどで、食べ物は、サンドイッチ、カレーライス、ナポリタン、ピラフなんかがあった。他には、蕎麦屋、うどん屋、寿司屋、ラーメン屋、定食屋などがあって個人経営の店がほとんどだった。
親に連れられてデパートというのにもたまに行くようになったのは、昭和50年代後半くらいから。デパートの屋上にはファミリーレストランがあって、お子様ランチやハンバーグ定食なんかがあった。屋上には広場があって、遊具が色々置いてあり、都会には凄い場所があるんだと驚いた。
タバコとお酒
今はどこへ行っても禁煙だけど、昭和の時代はタバコを吸う人が多かった。駅のホームや電車の中でも灰皿が設置されていて、普通に皆んな吸っていた。バス停でもタバコを吸うのは当たり前。飲食店でも、禁煙というところはほとんど見かけなかった。
職場でも、仕事しながら、休み時間に食堂で、喫煙は当たり前。私は、昭和の終わり頃には高校を卒業して社会人だったけど、住み込みの仕事先では先輩は皆んな仕事中もタバコ吸ってたし、私も休み時間や食後の一服を楽しみにしていた。
タバコの種類はあんまり多くなくて、私はずっとマイルドセブンだった。マイルドセブン、セブンスターを吸う人は多くて、もう少し強めのが好きな人は、ショートホープとか両切りピースとか。今のような軽いタバコは、あの頃はあまり売っていなかった。タバコの価格は一箱200円~220円程度。
喫茶店や大衆食堂でも、禁煙の店は見かけなかった。 テーブルに灰皿があるのが普通で、食後の一服を楽しむ人は多かった。
お酒を飲まない人も今は増えたけど、昭和の時代は飲む人が多かった。
子供の頃、田舎での生活を思い出してみると、個人商店の酒屋さんはあったし、そこで買って家で飲むという人が多かった。ビール、日本酒、焼酎など。
自治会の集まりというと、話し合いより飲み会の様相を呈していた感じ。何かと理由をつけて集まって飲んで楽しむ。飲み始めると喫煙もセットで、部屋の中が煙で真っ白になるぐらい皆んなよく煙草を吸っていた。
一人か二人でゆっくり楽しむ派の人は、風呂上がりに縁側に出て、好きなおつまみと一緒にビールとかお酒の時間。煙草好きな人は煙草も。
この頃は縁側がある家が多かったから、夏には蚊取り線香を焚いて夕涼み。今ほど暑くなかったし。田舎の場合は、外で飲む習慣はあまり無い。駅前まで行かないとそういうお店も無かったし、駅まで10キロ20キロの距離があってバスが一日に二本ぐらいしか無い田舎だと、夜中に家に帰るのも大変だから。
飲酒運転に関しては今よりずっと甘かったから、飲みに行ってその辺に車止めて・・・ということもあったけど。それでも田舎の場合は、夕方6時を過ぎたら真っ暗で誰も居ないし、車もほとんど通らないから大して危なくもなかった。事故というと運転を誤って田んぼに突っ込んだとか、そういうのしか聞かなかったし。
社会人になって街に出てからの事を思い出してみると、スナックやクラブが多くて夜の街は賑わっていた。ちょうどバブルの全盛期だったので、普通に働いてるだけで給料は良くてお金に余裕のある人が多かった時代。私は、丁稚奉公的な感じの住み込みで職人の仕事をしていたので、景気がいいと聞いても「そうなのかなあ」という感じで実感無かったけど。週末だけ夜のバイトに出るようになって、なるほど世の中景気がいいんだと初めて知った。派手にお金を使う人が多くて、特に不動産関係のお仕事のお客様は羽振りが良かった。
この頃のクラブは一人で来て座って30分居ただけで3万円近い料金は当たり前で、さらに数万円のボトルをキープしたり。そういうお金の使い方が出来る人が普通に沢山居た時代。夜の街では、帰りはタクシーがつかまらなくて朝まで待たないといけないこともよくあるような時代だった。
お店でも、お酒とタバコはセットという感じ。飲む量も多かったし、タバコの量も多かった。お客さん達は、朝まで飲んで陽気に騒いで帰っていく。これでは体に悪かろうと思われるかも知れないけど、案外そんなこともなく元気がある人が多かった。
