攻撃が始まった
「人数が少ない事を知られない工夫は必要だな」
和人が言うと、リキが「こっちへ来い」という感じで先導して歩き出した。
「もう始めてるみたいだぜ」
リキが言うので視線の先を見ると、陽が落ちて暗くなりかけた林の中、数人が動いている。
何か作っているらしい。
近づいてみると、食事のしたくを放り出してこっちに来ていた善次とキクの夫婦と寿江がそこに居た。他にも四人居るのが見えた。犬達も、何やら引きずって来たりして手伝っているらしい。
「あれは・・・」
「人数を多く見せるための仕掛けだろうな。多分」
さらに近づいて見ると、皆で一生懸命作っているのは案山子のような物だった。
作りは簡単なもので、棒切れ、ボロ布、藁などを適当に組み合わせて人の形に見える物をいくつも作っている。
犬達は薪木を集めているらしい。
「何かの準備ですか?」
和人が声をかけた。
「真ん中で火を焚いて、周りに案山子を置いて、ここに人が集まってる感じに見えないかなって。暗いのが幸いして、近くに来ないと分からないと思うし」
寿江が、作業の手を休めずに答えた。
「俺も手伝います」
和人もすぐに、近くにある材料を組み合わせて作り始めた。
リキは「奴らがどこまで来てるか見てくる」と言って走り去って行った。
他の人も集まって来て十人以上で協力して作ったので、短時間でけっこう作れた。
あとの数人は、侵入者を阻む仕掛けを作ったり武器になる物を揃えている。
今日は風も強くないので、作った物が簡単に倒れたり焚き火の炎が消えたりということも起きにくい。
真夏の暑さはもう無いし、寒さに震える季節でもない。こういう作業をするには、とてもやりやすい気候だった。
皆が作業に没頭しているうちに夕方を過ぎて夜になり、辺りは闇に包まれた。
それでも、自然の中で暮らす人々にとっては月明かりがあれば十分周りの様子を見ることが出来た。焚き火を始めると、炎の明るさでさらに周りが見えやすくなった。
「何人で来るか分からないけど、ここに誘き寄せれば・・・・」
「こっちは全員隠れて、相手側が攻撃に出るまでは待つか」
「隠れるって木の後ろとか?」
「上もありなんじゃない?」
「そうだな。手頃な木がけっこうある」
「相手側はこっちの人数は知らないから、実際より多く見せられたら成功だね」
「それで勝手にビビって逃げてくれたらいいけど」
「犠牲者が出るような戦いにはなってほしくないよね」
「それは言える」
「ちょっと離れて見てみる」
数十体の案山子が出来たので、和人は一旦離れた。
相手側がこっちに向かって来た時、これがどう見えるのか確認したかった。
山道から侵入したなら、ここに来れる道は一本しかない。
近道の方は、門番が無事だということは破られていないという事だ。
和人は、考えながら数十メートル歩いて、振り返る。
(侵入者は、ここから向こうを見る形になるから・・・)
見ると、焚き火の炎が赤々と燃えていて、その周りを囲むように沢山の人が居る。
本当にそんな風に見えた。
これなら大丈夫そうだと確信する。
戻ろうとした時、ちょうど向こうからリキが戻ってきた。
「奴らは百人くらい居る感じだな。こっちに向かってる」
「少なくはないけど・・・それくらいの規模ならまだ何とか出来そうな気がする」
「そうだな。あれもなかなか上手く出来てるし」
リキが、和人達がさっき作った仕掛けの方を見て言った。
「開発地にも人が沢山住んでるわけだし、本格的に軍隊なんかを山に向かわせたら、何事が起きたのかって騒ぎになるからな。奴らは、開発地に住む庶民には知られずに密かに、山で暮らす者を脅して開発地に移動させるか、それが出来ない時は始末したいんだと思う」
リキがそう言って、和人はその通りだろうなと思った。
「ここの近くには、俺達以外誰も居ないわけ?」
「そうらしい。周り全部見てきたけど。村の方に加勢に行ったようだな」
「それでいいのかもしれないな。村人の人数が多いほど戦いにならずに済む可能性出てくるし。人数的に不利なのを見て奴らが引き下がってくれたらベストだな」
「そうだな。出来ればこっちも、互いに殺し合うような戦いじゃなくて、山には何か恐ろしい物が居るらしいという事になればいいと思う。だから山には近づかないでおこうと思ってもらえれば」「人ならざる者の存在か・・・・作戦としては最初に戻る感じだな。説明会の時の事とか、山道で起きた車の事故とか、奴らも忘れてはいないだろうから、ちょっと押せば効き目があるかもな」
和人とリキが話しているところへ、琴音と良太がやってきた。
「武器が揃ったから、この辺の木に登るね」
その後から、茜とタネ婆さん、喜助、犬のシロが歩いて来ている。
「木に登るのは若い者しか出来ないからね。頼んだよ」
和人達の方を向いてタネ婆さんが言った。
「時間が無いし深くは出来なかったが、こっちは穴を掘って仕掛けを作った。来るとしたらおそらく道はここしか無いからな」
そう言った喜助は、持ってきたスコップを草むらの中に隠した。
どんな物を作ったのかと和人が聞くと、奴らがき来たら必ず通ると思われる道に溝のような穴を掘ったという事だった。
その手前にも、低い位置に細いロープを張って、人が来たら隠れている者が両側から引っ張る仕掛けを作ったと言う。
暗闇に慣れていない人間なら、真っ暗な中でいきなり足元に何か引っかかったり、掘られた穴に足を取られて躓いたら・・・かなり怖いだろうなと和人は思った。
木に登って隠れる事も含め、昼間ならうまくいくかどうかあやしい仕掛けでも、あたりが暗い事をうまく利用すれば行けそうな気がした。
「奴らの側も、こっちに気付かれないように近づこうとするだろうから、明るい照明は使わないと思う」
「そうだな。人数は向こうの方が五倍以上多いけど、今の作戦ならいける気がする」
茜、和人、良太、琴音の四人は、琴音が作った武器を持って木に登った。
下では、タネ婆さん、寿江、善次とキクの夫婦が、仕掛けを作動させるために隠れている。
琴音が作った武器は全員持っていて、仕掛けで倒した相手に投げつける算段だった。
この武器は、成分的には催涙スプレーの古代版のようなもので、まともに食らうとしばらくは咳き込んで目も開けられなくなるが、失明するような心配は無い。
今は普通の猫サイズのリキは、いざとなれば体を大きくして加勢するつもりだった。
ここに居る以外の人達は、焚き火を中心にもう少し遠くに、この場所を囲むように待機した。
全員、琴音が作った武器を持って隠れた。
そこには犬達も一緒に居る。
「気をつけて!上から何か来てる!」
木に登っている琴音が、下に居る皆んなに向かって叫んだ。
それと同時に、焚き火の近くの案山子が、何かに撃たれたように前に倒れた。
燃えやすい素材で作られた案山子に、焚き火の炎が燃え移り、激しく燃え上がった。
続いてもう一発、上から発射された何かが別の案山子に命中した。
頭部を撃ち抜かれた案山子が、焚き火の方に倒れ込んだ。
続いてもう一発。今度は僅かに外れて、激しく燃える焚き火の炎の中に何かが飛び込んだ。
攻撃は、焚き火の方にばかり向かっている。
これが見せかけだとはバレていなくて、本当に人がいると思って撃ってきているらしい。
村で起きている事とは違い、多くの人に見られる心配は無い山の中だ。
相手は確実に、最初から自分達を殺す気で来ていると、全員が感じ取った。
案山子ではなく自分達があそこに居たとしたら、もうすでに犠牲者が何人も出ているわけだ。
それを思うと和人は背筋が寒くなった。
ここに居る人達は皆んな大切な仲間で、誰にも死んで欲しくない。
焚き火と案山子の仕掛けを作っておいて本当に良かったと思った。
「撃ってきてるのはヘリコプターじゃない。ドローンだな・・・え?鳥さんが加勢してくれてる?」
攻撃を仕掛けてきていたのは、遠隔で自動操縦されているドローンだった。
木に登っている四人が見ている前で、フクロウの大群が飛んで来てドローンを取り囲み、攻撃して叩き落とした。それが済むと、間髪入れずに二機目三機目に襲いかかる。
沼に落とされた物はそのまま沈んでいき、森の中に落とされた物は大破して炎を噴き上げた。
「いざとなったら加勢しようと思っていたが、心配無さそうだな」
山の主の黒い怪鳥から、テレパシーで皆んなに伝わってきた。
「あのドローンには、明かりに反応して攻撃目標を撃つという単純な機能しか備わっていないらしい。下に居る人間を狙うことしか想定していないから、逆に直接加えられる攻撃に対しては脆いようだな」
山の主は、フクロウ達の戦いを観ながら、さらに伝えてくれた。
それでもドローンの数は相当多いらしい。次々と叩き落とされているが、フクロウ達の攻撃をかいくぐって一機が向かって来た。
けれど今度は下からの攻撃で、それは撃ち落とされた。
反対側でも、同じことが起きている。
近くでは喜助が、向こうでももう一人、猟銃を構えて狙いを定めている。
上ではフクロウ達が戦っていて、それでも近づいてきたドローンは次々と打ち落とされた。
攻防がまだ続いているうちに、草をかき分けて人が向かってくる足音が聞こえてきた。
木の上から見ている四人も、向こうから近づいてくる者達が居ることにすぐ気が付いた。
全員音を立てず、テレパシーのみでやり取りする。
「銃声は聞こえてるはずだけど。構わず近付いて来るみたいだね」
「奴らの側から来る人間って皆んな、なんか感情無いっていうか・・・命令通り動いてる機械みたいな感じだもんな。危険だから待つとか無いんじゃないかな」
一団が通ってくる道は、さっき皆んなで予想した通りだった。
そして、攻撃は突然始まった。
誰かが号令をかけているわけでもない。
遠隔で命令が出ているのかもしれない。
最前列の十人ほどが、焚き火の方に向かって突撃してきた。
隠れていた善次とキクが両側からロープを引っ張っぱると、勢いよく突進してきた者達は次々と転んだ。
次の列の者達が止まれずにその上に重なるように転び、起きあがろうとした者が今度は溝に落ちた。
暗闇の中で、何が起きたのか分からずにバタバタしている者達めがけて、四人が一斉に木の上から武器を投げつける。
唐辛子の粉に灰を混ぜて固めたボールは、物に当たると砕けて中身が飛び出す。
当たれば目や鼻や喉に焼けるような痛みが走り、一時間は回復しない。
この攻撃を受けた者達は、あっという間にその場にしゃがみ込んで動けなくなった。
原始的な武器のように見えて、性能の良い催涙スプレー並みの効き目だった。
それでも、三列目、四列目の者達は、何事も無かったように突進してきた。
倒れている者達の体の上を、平気で踏み越えて向かって来る。
もう少しだけ焚き火寄りに作っていた同じ仕掛けを、寿江とタネ婆さんが引っ張った。
走ってきていた者達は、さっきと同じように次々と転び、起き上がってもその先の溝に落ちた。
木の上の四人が、上から狙って武器を投げつける。
これでもまだ、後ろの列の者達は同じように突進してきた。
ドローンと同じで単純な攻撃しか出来ないらしいと、見ている皆も大体分かってきた。
仕掛けはもうこれ以上無い。
タネ婆さんが飛び出して行き、突進してくる者達に向けて催涙スプレーを吹きかけた。
武器を持っている他の皆んなは、それを投げつける。
木の上に登っていた四人は、飛び降りて地上の方に加勢した。
さらに向かってくる後ろの列の者達に向けて、十八人全員で応戦し続けた。
ドローンの攻撃はいつの間にか止んでいた。
フクロウ達の攻撃と、猟銃で応戦した二人によって全部撃ち落とされたらしい。
地上での戦いも終わりに近付き、相手側で立っている者はもう居ない状況になった時、リキが「気をつけろ」と伝えてきた。
リキの意識が上空に向いているのが分かったので、皆んな空を見た。
ヘリコプターが来る。
今までずっと、上空から山の中を監視し続けていたヘリコプターらしい。
「来るぞ!伏せろ!」
誰かが言ったのを合図に、住居の近くに居た者はその中に飛び込み、間に合わなかった者は食糧庫の中や岩陰に飛び込んで身を伏せた。
低い位置に迫ってきたヘリコプターから、何か投げ落とされた。
焚き火の辺りだと皆が思った瞬間、地面を揺るがすような爆発音が響いた。
焚き火のあったところは跡形も無く吹き飛び、周りに置いていた案山子ももちろん、原型を留めていなかった。
それだけならまだいいのだが、さっきここで倒した者達が、動けなくなってこの場に居た者達が、この攻撃で命を落とした。
「まさか・・・味方がいるのに上から・・・」
和人は、信じられない思いで顔を上げ、立ち上がろうとした。
「まだ危ない!」
リキが和人の体を突き飛ばして、その上に覆いかぶさった。
最初のヘリコプターは飛び去って行ったが、相手は一機ではないらしい。
次に来たヘリコプターが、低い位置に迫ってくる。
ヘリコプターの中から、地上の方に銃口が向けられている。
山で暮らす者が誰か目についたら、上から撃ち殺そうと狙っているのか・・・皆んなそう思って体を固くした。
次の瞬間、銃声と断末魔の叫び声が和人の耳に響いた。
時間にすると数秒の間の出来事。
さっきの戦いで攻撃を受けて地面に倒れ動けない者達を、容赦なく撃ち殺した後、ヘリコプターは悠然と飛び去って行った。
住居の中に飛び込んだ者は、その様子をもろに見ることになったが、出て行けば自分も撃たれるしどうしようも無かった。
焚き火があった場所の周辺は、まるで地獄絵図のような悲惨な状況だった。
自分達が誰も殺したわけではないのに、まるでそうしてしまったかのようにあと味が悪かった。
「ちょっと来て!この人まだ息がある」
倒れている男性の前にかがみ込んで様子を見ていた茜が叫んだ。
タネ婆さんがすぐに行って、状態を見る。
「大丈夫そうだ。致命傷は負っていない」
「この人も・・・大丈夫ですか?わかりますか?」
寿江が、他の一人の側に行って話しかけている。
明らかに死んでしまっている人はもう仕方がない。
けれど何人かでも助かるかもしれない。
すぐに全員で手分けして、助かりそうな人を見つけて住居へ運んだ。
犬達もすぐに、その作業に加わった。
和人が、リキが途中から居ないと思っていたら、数十分後に猫達と一緒に戻ってきた。
ヘリコプターから見えるように、わざと山の中を走り回ってきたらしい。
最初の作戦通り、人ならざる者が山に居ると思わせる作戦。
この事もうまく行けばいいと全員が願った。
これ以上戦いはしたくないし、彼らには二度と山に入ってこないで欲しいと願った。
怪我をしていてもまだ息がある人を住居に運んで、タネ婆さんが中心になって皆で協力し、手当を頑張った。
けれど、人々は次々と急に苦しみ出して、間もなく心臓が停止してしまった。
怪我の具合からするとまだ助かりそうな人が十数人居たのに、ことごとく亡くなってしまう。
誰も助けられない・・・・皆が無力感に苛まれている時、リキが言った。
「これは仕方無い。皆が悪いんじゃないし。あの時と同じだ。生きていると分かると遠隔操作で殺されてる」
「情報流出を防ぐためってやつ?さっきのヘリコプターからの爆薬投下も銃撃もそうだけど、ここまでするか・・・」
和人は、あまりの事に納得出来なかった。
「そういう相手だって事だよ」
「待って!この人は助かるかもしれない」
話している和人達の方を向いて、茜が言った。
茜は、タネ婆さん、寿江と一緒に、一人の少年兵の手当をしていた。
「最初心肺停止状態だったからね。心臓マッサージで蘇生してくれたんだけど、一時生体反応が無かったから奴らの側には死んだものとカウントされているかもしれない」
一人でも助かるのなら、何としてでも助けたい。
和人も、リキも、近くに居た人間も動物達も皆んな集まってきた。
「怪我は酷いけど、止血は出来たし・・・若いから生命力も強いかもしれないね。期待しよう」
タネ婆さんがそう言って、皆んなの表情が少し明るくなった。
「亡くなった人達は、せめて俺達で供養したらどうだろう」
喜助がそう言って、男性達はスコップを持って外へ出て行った。
亡くなった人達の名前も分からないけれど、遺体を埋めて墓標を一つ立てて、周りに木や花の苗を植えたらどうかという話になった。
力仕事は男性達がやり、あとは女性達が協力して、落とし穴を埋めて元通りにしたり、戦いでめちゃくちゃになった状態を少しでも整えようと働いた。
唯一助かりそうな怪我人の側には、タネ婆さんが付き添った。
まだ意識が戻らず熱も下がらないけれど、心音も正常に聞こえるし脈はしっかりしていた。
これなら大丈夫そうだと、タネ婆さんは確信していた。
焚き火をしながら深夜まで作業して皆かなり疲れてきたので、今日は一旦休もうということになった。
幸い、洞窟を利用した住居に関しては全て無傷だった。
外に作っていた簡単な建物は、爆発の衝撃で物が飛んできて当たり、一部損傷した所はあった。
けれど直せば済む程度で、今晩そこで寝る分には問題無かった。
怪我人にだけは一人ずつ交代で付き添いをしようということになり、それ以外の者は休んだ。
リキは周りを見回って警戒していたけれど、これ以上攻撃がくるような事も無く、近くに侵入者が潜んでいるという事も無かった。
「危険区域」の真実
戦いがあった日から、数日が過ぎた。
百人の村の方の様子は、リキが翌日見に行っていた。
山での攻撃が失敗した後、村でも支配層側の人間は撤退したようだとリキは皆に伝えた。
「奴らの元々の計画としては、山に逃れた人々を攻撃して拠点を潰して、その情報を持って村の人達に脅しをかけるつもりだったのかと思う。それが失敗して脅しに使えるネタは出来なかった。奴らに周りを取り囲まれても、村の人達は誰も恐れずに平然と普通に過ごしてたらしい。その状況を見て、奴らも無理だと判断したのかもしれない」
リキの言った通り、ここ数日特に何も起きていなかった。
村の方も変化無しと、今朝も様子を見に行ったリキが皆に伝えた。
※※※※
一人だけ助けられた少年兵は、戦いの日から二日後に意識を取り戻した。
今は熱も下がってきていて、おそらくもう心配無いとタネ婆さんは言った。
この少年兵は、まだ十代半ばくらいに見えた。
警戒しているのか、名前や住んでいた場所については何も言わない。
けれど、ここに居る皆に悪意が無いのは伝わったようで「助けてくれたんですね。ありがとうございました」と、付き添っていたタネ婆さんに感謝を伝えた。
「若い命が失われなくて良かったよ。こっちが悪意が無いことは分かってくれたかい?」
「・・・はい。自分でも最初何が起きたか最初分からなかったけど・・・なんか、意識が体から抜けたんです。その時に、見たんです。自分を助けてくれてる人達が居るのを上から・・・自分の体は横たわってて、気がついたらそれを見下ろしてて・・・信じてもらえないかもしれませんけど」「そういうこともあるだろうよ。一度心肺停止して、肉体としては意識がなかった間の事だね」
タネ婆さんが、何でもないことのように返事を返したので、少年兵は安心して詳しく話し始めた。
「あの時、痛みの感覚は全く無くて、体がフッと軽くなったと思ったら、天井の高さから自分の体を見下ろしていたんです。下に見える自分の体の周りに、三人の人達が居て・・・真っ白な髪のお婆さんが一番近くに居て手当をしてくれてて、その近くに年配の女の人と若い女の人も居て・・・『この人は助かるかもしれない』って若い女性が言ってました。そしたら周りに居た十人くらいの人達がどんどん集まってきて、動物も沢山集まってきて、自分の他にも何人も、ここで戦った人達が何人も寝かされていて手当を受けてるのも見えました。けれど誰も助からなかったみたいで。亡くなった人達のお墓を作るようなことを誰か言ってたのが聞こえて・・・自分達は敵なのに、どうも本当に助けてくれているのかもしれないと思ったんです。拷問にかけて何か聞き出すために助けたとかそういうのじゃ無くて」
「人間は元々肉体が本体では無いからねぇ。肉体から意識だけが抜けて、そういう体験をする事はあるよ。普通はそのまま肉体から離れていくわけで、そうなると死ぬ。だけどその手前で蘇生して、再び意識が肉体に戻ったってことだね。なるほど・・・運が良かったんだよ。一回心臓が止まったもんだから、奴らからは死んだと見られて、それで助かったんだよ」
「何が幸いするか分からないもんだな」
側で聞いていたリキが言った。
※※※※
九月も終わりになり、昼間でもかなり涼しくなってきたと感じる。
タネ婆さんが、こっちへ歩いていくるのが見えた。
「お疲れ様」
少年兵の看病を主にやっているのはタネ婆さんなので、和人はそう声をかけた。
「なかなか面白いことが聞けたよ」
「ほんとに?自分から何か話してくれたんですか?」
「少しは信用してくれたみたいだね」
和人はタネ婆さんと並んで切り株の上に腰を下ろし、話を聞いた。
タネ婆さんは少年兵に対して、名前も住所も職業も言わなくていいから、どんな命令でこの戦いに来たのか、そこだけを良かったら教えて欲しいと聞いてみたと話した。
別に答えが返って来なければそれでもいいと、ダメもとで聞いた感じだった。
それも今日になって初めて聞いてみたことで、彼が意識を取り戻してから今まで、特に何も聞かず傷の手当てを続け、水や食べ物、調合した薬草を与えてきた。
その事を見ていて「確かに悪意は無いのかも」と信じる気持ちになった少年兵は少しずつ話し始めたらしい。
自分は普段工場で作業をしているが、呼び出しがかかれば行かないといけない。
それが何の呼び出しかは行くまで分からない。
今回は、行ってみたら百人くらい集められていて、これから山へ向かうと言う。
『山には、安全なこの街に災いをもたらす恐ろしい存在、人ならざる者が棲んでいて、今年に入って度々犠牲者が出ている。これが今大きな問題になっている』というのは普段から聞いていた。
そんな恐ろしいものと、これからもしかして戦うのかと思っていると、指揮官らしき人達が数人来て話した。
『お前達は注意を引きつけるだけの役割だから安心して大丈夫だ。攻撃は、ヘリコプターを使って空から、周りから戦車でするから、号令がかかったら突撃して、戻れと言われたらすぐ撤退すればいい』という事だった。
『山の中は衛生状態がいいとは言えなくて街には無い伝染病の原因になる虫とか細菌とか多いから、予防接種が必要』と言われて行く前に注射を打った。
マイクロバスで現地に向かう間、勇壮な音楽が鳴っていて、だんだん気分が高揚してきた。
頭の中で『進め。進め。進め。倒せ。倒せ。倒せ』と、繰り返し言葉が聞こえていた。
車から降りて、途中から徒歩で山道を進んでいき、何列かに並んで、号令がかかるまでそこで待った。
指揮官らしき人達の姿は途中から無かったから、もう少し外側で待機している戦車の方に行ったのかなと思った。自分は一番前の方の列だった。
『突撃!』という声が頭の中で突然響いて、走って行った後のことはほとんど覚えていない。
気がついたら、血だらけで倒れている自分の体を上から眺めていた。
少年兵の話によると、こういうことだった。彼が嘘を吐いていれば、タネ婆さんならすぐに分かる。これは全て本当の話のようだ。
「注射の中身はおそらく、精神を高揚させる麻薬の類だろうね」タネ婆さんが、話の最後にそう言った。
「音楽が流れていたというのも、もしかしたらそういう作用のある周波数のものを流していたのかもしれない」
「どうせそんなことだろうとは思ってたけど。やはりか」
和人は言った。
最前線に押し出される人達は、詳しい事など何も知らないのではないかと思っていたのはその通りだった。
外から援護する予定など最初から無く、彼らは自分達だけ安全な所に隠れて様子を見ていたに違いないと和人は思った。
ヘリコプターでの上からの攻撃は援護などではなく、作戦に失敗した時に、実行にあたった人達を始末するためのものだったが、援護してもらえると思っていたから誰も逃げなかったのかと、その時の状況を思い出した。
「山の主達は全部見てたからねぇ。相当怒ってるよ」
タネ婆さんが言った。
「俺だって当腹が立ってる。それにそういう奴らなら、またしばらくしたらどんな手を使ってくるか分からないし・・・・」
「山の主達と同意見のようだね。私もそう思うよ。二度と山には近付きたくないと奴らに思わせるために、これからちょっと面白いことをやろうと思ってね。山の主達が全面協力してくれるらしい」
次の日の朝、山の主の中の一体である巨大魚が、沼から姿を現した。
巨大魚に会って会話したことがあるのは、人間ではタネ婆さんと和人だけだ。
その二人でも、巨大魚は常に水中に居るのかと今まで思っていて、そうではなかった事を初めて知った。
巨大魚は、両生類のように陸に上がる事も出来る。
水面に出た頭の部分しか見たことが無かった二人は、巨大魚の体長は数メートルくらいかと思っていたけれど、実際はその倍以上あった。
巨大魚は、のっそりと沼から上がると、ヒレの部分を足のように使ってスルスルと移動して行った。
川の方へと向かう。この川は、麓の村へ、それから街の方まで続いている。
山の主達は、肉体を持った動物や人間とは違って妖怪なので、人間の目から見た自分の姿を自由に消す事も現す事も出来る。
普段はほぼ、姿を見せずに生きている。
姿を見せるのは、人間と会話する時などに限られる。
そういう時彼らは、人間の視覚によって捉えられるように自分の周波数を合わせていく。
間をおかず、巨大な白狼が林の中から姿を現した。
巨大魚が向かった方向と同じ、川の方へと走って行く。
川に沿って麓の村へ、そこから街へ向かうつもりらしい。
リキにも、動物達にも、ここに居る人間達にも、彼らはテレパシーでその事を伝えてきた。
今度はすごい風圧が来て辺りが暗くなったと思ったら、黒い怪鳥が近くに舞い降りた。
一緒に来るかと聞いてきて、リキが行くと答えた。
「俺も行きます」
リキの隣に居た和人も言った。
「もうちょっと若かったら私も行きたいところだけどね。ここは若いもんに任しとくとするかねぇ。皆んなと一緒に待ってるよ」
タネ婆さんはそう言った。
山の主達もリキも居なくなっても、今しばらくはここが攻撃されることはなかろうと皆何となく思っていた。
黒い怪鳥は、ここ最近上から様子を見ている間に、彼らの本拠地を見つけていた。
街の真ん中かと思ったらそうではなく、一見中心地に見える場所には、トップに近い存在達よりもう一段階下の者達がいるらしいのも把握していた。
「戦闘の指揮を取ったのはこの辺りの奴らかもしれないが・・・」
と山の主は話しはじめた。
「全てを計画している者達はさらに上の身分で、市街地を離れた山の麓近く、広々とした美しい土地に住んでいるらしい。一般庶民を人口密集地の狭い集合住宅に押し込めて、自分達だけは違う暮らしをしている奴らは定期的に会議を開いているらしい。会議の開かれる場所は、奴らの住居が点在している地域の中心。公会堂のような場所らしい。そこに、人間の中では一番上の立場に居る数十人が集まる。この数十人の上には、邪悪な人ならざる存在が居る。彼らは肉体を持っていないが。人間の中で一番上に居る者達は、この邪悪な存在達に魂を売った者達。その代わりに、人間の世界では社会的地位と巨万の富を得ている。彼らと関係無く自分の事業で財を築いた者は、そ市街地近い住宅地に住んでいるらしい」
これだけの情報を掴んだ山の主達は、会議の開かれる日を狙って「少し脅してやろう」と考えていた。「
これから実行する計画のために、あと数人来て欲しい」
と山の主が伝えてきたので、リキと和人の他に、茜、良太、琴音、犬のシロが怪鳥の背中に乗って飛び立った。
※※※※
目標物が目の前に迫ってきた。黒い怪鳥はスピードを上げて、公会堂の屋根の部分に横から突っ込んだ。
凄まじい音がして屋根が吹き飛ぶ。
建物の中から叫び声が聞こえ、逃げ惑う様子が伝わってきた。
中に居た人々が数十人、バラバラと外に逃げ出してくる。
巨大な白狼が向こうから走ってきた。
公会堂の近くに停めてあった車に体当たりして、片っ端からひっくり返していく。
車で逃げようとそこへ向かっていた人々は、回れ右して逃げ出し、川の方へ向かった。
川まで行けば、船で逃げることができる。
人々は、ヘトヘトになりながら川までたどり着いた。
船の置いてある場所へ向かっている途中、川の中から大きな何かがこっちに向かって泳いで来るのが見えた。
大きな黒い影が、水中を移動している。
それがすぐ近くまで来たと思ったら、突然ものすごい水飛沫を上げて、見たこともない巨大魚が顔を出した。
大きく開いた口の中に、鋭く尖った歯が見える。
そこに止めてあった船を、巨大魚の尾鰭が叩き壊した。
凄まじい音がして破片が飛び散る。
それだけでは済まず、何と巨大魚は、のっそりと陸に上がって来た。
その姿を見た人々は悲鳴をあげて川から離れ、また走った。
逃げ場を失った人々は、市街地に向かって走り始めた。
黒い怪鳥が、低空飛行でそれを追って行く。
リキは和人を乗せたまま、怪鳥の背中から飛び降りた。
馬ほどの大きさになったリキが、逃げる人々を地上から追いかける。
その後ろから白狼が、逃げ遅れている人々を追いかけた。先に示し合わせていた通り三方から追い詰めて、数十人の人々を同じ方向に向かわせた。
このまま行けば市街地に入る。
自分達の居住区は絶対に安全だと、彼らは過信していたらしい。
反撃する術さえ持っていなかった。
普段ほとんど運動した事の無い者は、体力が尽きて足がもつれ、途中でバッタリと倒れた。
過呼吸になって苦しんでいる者も居る。
その上を飛び超えて、リキが走り、白狼が走った。
「踏まないだけ有難いと思え」
白狼から言葉が伝わってきて、リキも和人も、同じ事を思った。
走る体力のある者達は、ひたすら走って逃げた。
彼らの居住区の端まで来ると、高い塀があり、その上には有刺鉄線が張られている。
一般庶民から見える外側には「立ち入り禁止」「危険区域」などの表示がある。
庶民に対しては、土砂崩れなどの自然災害、危険な野生動物の出没などの理由を付けて立ち入り禁止にしていた。
実際は、彼ら特権階級だけの優雅な生活と、会議の様子などを知られたくないからそうしているだけだった。
表向きでは「財政は苦しく、配給の食糧も十分確保しにくく、近年偶然重なった自然災害などにより住環境に適した場所は減っている」と発表していた。
「そんな中、我々も懸命の努力を重ねています。今は耐える時です。痛みを分け合いましょう」と繰り返し言っていたので、自分達の居住区を見られては嘘がバレる。
彼らにとっては絶対に見られたくないものだった。
しばらく走ったあと、和人を乗せているリキの体がさらに大きくなった。
どんどん大きくなっていって、向こうに見える白狼と同じくらいかと思える大きさにまでなっていった。
「なんか大きくなってるけど」
「そうだよ。これからあそこを抜けるから」
「抜けるって・・・」
走って行く道の正面には、上に有刺鉄線が張られた高い塀が見えている。
扉も何もないけれど、あれをどうやって抜けるのかと和人が思っているうちに、塀がどんどん迫ってきた。
白狼が向こうを走っている。
リキと白狼の間に、高度を下げた黒い怪鳥が入ってきた。
怪鳥の背中には、三人とシロが乗っている。
逃げている人々の中で、一番先に塀に到達した数人が、塀の前で何やら操作していた。
一見出入り口は無いように見えるけれど、操作によって開く仕組みになっているのかと和人は思った。
「なんか開けようとしてるのかな」
「どうせすぐ開くけどね。違う意味で」
その言葉がリキから伝わってきた次の瞬間、三体は、まるで障害物など何も無いかのようにそのまま突進していった。
鉄製の丈夫な塀は、まるでオモチャのように簡単に破られた。
三体が通り過ぎた後、派手な音を立てて塀が倒れた。
彼らの居住区を隠し、隔てていた壁は一瞬で無くなった。
開けようとしていた数人は、目の前で向こう側に倒れた塀の前で呆然と立ちすくんだ。
それでもすぐに気を取り直して、また逃げ始める。
向かう先は、市街地の方しか無かった。
自分達の居住区の方には巨大魚が居るのを思うと恐ろしくて、そっちに戻るわけにもいかない。
三体は、もう一度Uターンして更に広範囲に塀を壊していった。
必死に逃げる人々は、塀がどんなに壊されても、そこを通って市街地を目指すしかなかった。早く逃げなければ、恐ろしい存在達が後ろから追って来る。
山の主達は、彼らが逃げるのを分かっていて適当に追いかけていた。
本当に殺そうと思うなら一瞬で終わる。
確実に市街地と方へと追い立てていった。
市街地まで来ると、カメラやタブレット、スマホを持った村人達数人が待ち構えている。
和人達も知り合いになった、百人ほどの人数の村の人達だった。
数日前、開発地を管理する連中に村まで入ってこられて、人の集まっている場所を包囲された。
結局は相手側が撤退して行ったけれど、二度と来て欲しくないと皆が思った出来事だった。
開発地に住まない者が居る事に対して、村に来て圧力をかけたり、山に入って住んでいる者を襲撃したりするのは、命令通り動いているだけの立場の者達。
その上に、もっと権力のある存在達が居るらしい事は、皆何となく気がついていた。
『その存在を突き止めたから、明日そこを襲撃する。面白いものが観れるはず』と、村に連絡が入ったのは昨日の事だった。
山の主達からリキへ、リキから和人達へ、そこから知り合いの大家族や村人達へ。
情報が伝達されたのだった。
ネット環境も捨てて山で暮らす和人達と違って、ここの村の人達は普通にパソコンもスマホも使っている。
なりふり構わず逃げてくる人々の姿を、村人達が写真や動画に収めた。
スマホにマイクを接続していて、ライブ配信でこの様子を流している者も居た。
村人からスマホを借りた和人はリキと共に引き返していって、破られた壁とその向こうに広がる彼らの居住区の様子を撮った。
逃げる途中で体力が尽きて床にへばっている何人かを横目に見ながら、無視して通り過ぎた。
さらに中に入っていき、屋根の吹っ飛んだ公会堂の写真も撮った。
公会堂に入って行き、中からも撮る。
ここだけでも相当に広い敷地だった。床にも柱にもテーブルにも、大理石がふんだんに使われている。
高い天井からはシャンデリアがいくつも下がっていたらしい。今はそれが落ちて砕け散っている。中央の会議室だけでなく、レストランやバー、レジャー施設、宿泊出来る部屋も、厚い絨毯を敷き詰めた広い廊下の両側にズラリと並んでいる。
どの部屋もホテルのスイートルーム並に広々としていて、高級な家具や調度品が揃えられ、絢爛豪華な造りだった。
ヒノキの風呂、大理石を使った浴槽、サウナ、露天風呂など、贅沢な温泉もあり、巨大なプールもあった。
和人は、これら全てを写真に撮りながら歩いた。
極め付けは、地下室に金塊や宝石が積み上げられた部屋が見つかった。
更に奥には巨大な金庫があり、開ける事は出来なかったけれど一体どれほどの金が入っているのかと思われる。
この地下室の様子も、和人は写真に収めた。
中央の会議室に近い場所のトイレは、屋根が吹っ飛んだ時に天井に穴が空いたらしい。
衝撃でドアも壊れて開いていたので見ると、中で用を足していた男が恐怖のあまりそのまま気絶していた。
「撮るのだけは止めといてやるか」
リキが言う。
「撮っても見苦しいし」
和人は静かにドアを閉めて通り過ぎた。
川の方から「これくらいでいいだろう。そろそろ戻る」というメッセージが、テレパシーで飛んできた。
巨大魚からのメッセージで、和人とリキは同時にそれを受け取った。
「ありがとう」
とメッセージを返す。
巨大魚の気配が、フッと消えた。
「山に戻ったのかな。一瞬だね」
「妖怪だからね。そうしようと思えばいつでも一瞬で移動できる。来た時はゆっくりだったけど、どうにでも好きなように出来るし」
リキが答えている間に、白狼と怪鳥からも同じメッセージが来た。
お礼のメッセージを返すと、一瞬で気配が消えた。
「皆んな帰ったみたいだね」
「そうだな。これくらいやっとけばもう十分だから」
リキは普通の猫の大きさになり、和人と並んで歩いた。
支配層の人々の居住区を、ゆっくり眺めながら歩いて市街地に向かった。
支配層の居住地に点在する個人宅も、城かと思うような大邸宅ばかりだった。
立派な門構え、広大な庭、いったいどこまで外壁が続いているのかという広さがあった。
和人は、そういう家のいくつかを写真に収めた。
家が並んでいる場所の後ろには、彼ら専用と思われる広大な畑、果樹園、水田が広がっていた。「きっとここだけで、無農薬栽培とかやってるんじゃないかな」
「多分そんなとこだろうな」
今日だけであまりに多くのものを見過ぎて、和人もリキも今さら驚かなかった。
これも写真に撮っておいた。
市街地に戻ると、大変な騒ぎになっていた。
一般庶民が今まで、危険区域で入れないと信じていた場所が、実は全く違うものだったという事が、あっという間に知れ渡っていた。
茜は村人達に混ざって、崩れた壁の向こうの風景を、借りたスマホで撮影していた。
良太と琴音、犬のシロは、庶民の中では比較的経済的に豊かな人達の居住区へ行った。
呼び鈴を押し「大切なお知らせがあります。出てきてください」と呼びかける。
犬のシロは、玄関で吠えて知らせる。
外で騒ぎが起きている事にはほとんどの人が気が付いていて、何事かと思っていた。
今まさにライブ配信を見ていて、何が起きているか知っている人も居た。
なので、呼びかけると皆簡単に出てきてくれた。
「行ってみる」という人が多かったので、二人と一匹はそれぞれ車に便乗させてもらった。
市街地を走り、崩れた塀のある境界線を目指す。
ここに住む人達は「危険区域から最も遠い安全な場所」という宣伝文句を信じて、おそろしく高い土地代を払ってここに住んでいた。
稼いでも稼いでも税金の項目は増え徴収される金額は上がるばかりで、比較的豊かな方とは言っても今の社会システムに苦しめられている事に変わりは無かった。
それでも、全体として大変な状況なら仕方ないだろうと今までずっと我慢してきていた。
今までずっとそれが真実だと思っていたから。
車は市街地を抜け、崩れた塀を越えて「危険区域」と言われていた場所に入って行った。
見るとそこは「危険区域で住環境に不適切」どころか、市街地の中のどこよりも自然豊かで広々として、住環境に適していそうな場所だった。
これを初めて見た人々は、あまりの事に怒りを通り越して呆然として言葉を失った。
はっきりしている事はただ一つ。自分達はずっと、彼らに騙されていたという事だった。
今も、塀の向こうに何があるのかという情報は拡散し続けていた。
「見てください!これが、立ち入り禁止の危険区域の正体です!」
そんなタイトルで、映像や写真入りの情報が伝わっていく。
リキと山の主達に追われて逃げていた人々は市街地まで逃げ込んで、途中でやっと、もうすでに追いかけて来る恐ろしいものが居ない事に気がついた。
「戻ったらまだ居るんじゃないのか」
「あの魚の化け物もいるかもしれない」
「危険だから我々はしばらく避難して、警察に見に行かせよう」
そんな事を話しながら歩いていた彼らは、自分達の周りを取り囲む人々の存在に気がついた。
普段は離れた場所に居て接点さえなく、番号としてしか認識していなかった人間達。
その人間達の中に、自分達は入ってしまっている。
その事に気がついた後、彼らは自分達にとってもっと恐ろしい事に気がついた。
自分達数十人を取り囲んで見ている人間達。
そこから伝わってくる感情。そ
れは、自分達が望んでいる畏怖と尊敬からはほど遠かった。
庶民は絶対に会う事も叶わない、手の届かない場所に居る、神のような存在。
庶民からそう思われる事を彼らは望んでいた。
そして、そうでなければ今の社会システムは成り立たなかった。
多くの庶民達が冷めた目で見つめる中、彼らはトボトボと歩いて居住区へ帰って行った。
※※※※
11月15日
あの日を境に、全てが大きく変わり始めた。
壊した塀は、置いておくと邪魔だから皆で片付けた。
土地はたくさん空いているので、皆好きなように住み始めた。
俺達もそこへ行っても良かったけど、今住んでいる場所に愛着が湧いてきたし、そのまま住み続ける事にした。
ここに居る全員、気持ちは同じだったみたいで、俺達十八人と三十六匹は、結局今までと変わらない生活をしている。
ただこれからは、見つかるのを恐れて隠れる事もないし、行きたい所へいつでも自由に行く事が出来る。
メールや電話を通じて直接命令を受けていた人達でさえ、特権階級の奴らの生活は知らなかった。それを知ってしまって以降、奴らに従おうという人はいなくなった。
市街地まで逃げて来た奴らの他に、逃げ遅れて倒れている奴とか全員数えたら三十人だった。
たったこれだけの人数で、人口数百万の地域全体を支配していたというわけだ。
真実がバレたのを知ると、奴らはコソコソと家の中に逃げて行き、出てこなくなった。
いつ引きずり出されて殺されるかと思い、きっと怯えながら暮らしていると思う。
庶民の側は別にそんなことをするつもりはないし、コソコソ隠れて暮らしている彼らの存在は、いずれ皆に忘れられる。
そんな奴ら居たっけ?ってなるのも、遠い未来の事ではないと思う。
今、情報が拡散されて他の地域でも同じことが起きている。
特権階級の奴らの人数を全て足してもおそらく五百人も居ないのではないかと思う。
俺達庶民の側からすると恐れるようなものでは全く無いし、彼らが隠れてしまってはっきり分かったことは、彼らが居なくても俺達は何も困らないという事だ。
今までは多くの人が、彼らが居るから自分達が生きていけると思っていたけれど逆だった。
真実は、庶民が皆従っているから、彼らの権力が維持されていたということ。
果樹園や畑、水田を管理していたのはAIを搭載されたロボットだった。
奴らの家の外の倉庫らしき場所に、それがたくさん入っていた。
庶民側は人数が沢山居るので、ここを人の手で管理出来る。
彼らの土地や畑を勝手に使っている事に対して、俺は悪いとは思わない。
奴らは、危険地域だと偽って一番いい場所を独占し、贅の限りを尽くし生活をしていたわけだし。あの場所は元々「彼らの土地」というわけでもない。
広大な水田、畑、果樹園があり、食物は十分に採れるらしい。
これから更に、あの場所がどんなふうに変わっていくのか、俺もすごく楽しみだから時々見に行きたいと思う。
和人がペンを置くと、リキが机の上にポンと飛び乗った。
「外で焼き芋焼いてるみたいだぜ」
外に視線を向けて伝えてくる。
そういえばさっきからいい香りがしていたような・・・和人はすぐに立ってリキについて行った。普通サイズの猫の姿のリキが、二股に分かれた尻尾をピンと上げて歩いていく。
和人は静かな気持ちで、リキの歩く姿を眺めた。
これからは逃げる必要も戦う必要も無い。
という事は、リキはずっとこのサイズでいられるのかなと思うと、それが何か平和の象徴のような気がした。
自分達人間には寿命があるけれど、ここではリキと山の主達が、きっと次の世代へ、その先にも、この物語を語り継いでくれると思った。
完
