他人に対してではなく、自分自身に対して嘘を吐く。これはけっこうよくある事で、しかもほとんど無意識で自動的だったりして、自分では全く気が付いていないことも多い。何年も何十年も後になってから「自分に対してずっと嘘をついて生きてきた」と、やっと気がつくパターンもある。
出来ればそんなに年月が経たないうちに気が付いた方が、この人生で自分が体験したかった事が分かると思う。
分かりやすいところで例をあげてみると
本当は恋愛がしたいけど「自分は恋愛に縁が無い」と信じいるから「自分は元々恋愛に興味が無い」いう言葉や態度、自分への言い聞かせで、そう思い込もうとする。恋愛がしたいのに出来ないとなると、自分が惨めで辛いとか、周りかりバカにされそうだとか余計な思考が働くから。本当に恋愛に興味が無い人も居るし、その場合は問題無いけど。
本当は色々な事に興味があり沢山の体験をしたいのに「自分は仕事以外に興味が無い」という言葉や態度、自分への言い聞かせで、そう思い込もうとする。どうせ余分な時間もお金も無いし、やりたいのに出来ない事が多いとなると、自分が我慢している事に気が付いて辛くなるので避けている。「興味が無い」と思い込んでやり過ごそう、生きていくための仕事だけで精一杯の人生を「好きでやっている」と思えば辛くないだろうという思考が働くから。これも先程と同じく、本当に仕事にしか興味が無い人も、多くはないけれど居るので、その場合は問題無い。
表面の思考、言動が、本音と違う場合は、ハートの声を無視した我慢でしか無く、自分への嘘で誤魔化せるのは表面の意識だけ。
他にも、自分の感覚では違和感を覚えるような事でも、周りの人の言動、状況を見て「多い方に合わせておいた方が無難」と判断して「こっちが正しいと自分自身が思うからこっちを選ぶだけ。自分自身最初からこの考えだから。周りに合わせているわけじゃないし」と、自分に嘘を吐く。自分が周りに流されるような人間だというのはプライドが許さないという思考が働いている事も多い。
こういった事が、意識的にではなく、ほぼ無意識のうちに起きていて、自分に嘘を吐いている事の数も一つではなくいくつもという場合も多い。むしろそれが習慣のようになっていると、自動運転のような状況で、自分がそうしているとはまるで気がつかなくなってくる。
他人に対して嘘を吐くのとは違って、誰かに迷惑をかけるとか誰かを傷つけるわけではないけれど、せっかくの「この人生で体験したかった事」が何も出来ないまま終わってしまうのは寂しい。
どんなに小さな事でも何かを選ぶ時、決める時、ハートの声に耳を傾ける習慣が出来てくると「今の自分は、自分自身に対して嘘を吐いていないか」体の感覚を通じて分かるようになってくる。自分に対して素直でいられて心地よい感覚の時は、全身がリラックスした状態で自然に呼吸が深くなっている。無意識の我慢が始まっている時は、全身が重だるい感じがしたり、変に体に力が入って呼吸が浅くなる。慣れてくるほど、要注意状況の体のサインに早く気がつくようになってくる。
