いつも何者かに見られているような感覚って健全?

自営業者の日常雑記

人が見ていないからといって悪いことをしたら、神様はちゃんと見ているから、きっと後でバチが当たるとか、良いことをしたら、神様はちゃんと見ているから、死んでから天国に行けるとか、そういうことって当たり前のように言われているけれど、、、

常に何者かに見られているような感覚というのは、あまり自分に素直にのびのびといられる感じはしないし、その見ている存在に対して、これをしたら叱られるからしないとか、これをしたら、褒められるからしようとか、基準が全てそこになっているような気がする。

日本には、元々はそれとは違う考え方があった。唯一絶対神に対する信仰ではなくて、八百よろずの神という考え方もあるし、すべての存在の中に神が宿るという考えもある。それは、自分以外の存在に対しても、自然に尊敬と尊重の気持ちを持って接するということかと思う。人間以外の生き物に対しても、天地自然に対しても。

自分をジャッジする何者かに見られているからというのとは全く違って、他者を傷つけるような事はやめておこうとか、他者の気持ちに配慮しようとか、自然を壊さないようにしようとかいうことは、自分の中にある自然に湧き上がってくる感覚であったり、自分自身の信念に従って行動する矜持ようなものであったりするのかと思う。

常に何者かに見られているという感覚は、支配層の頂点にいる存在から刷り込まれたもの。ほとんど自動的に、彼らの気に入るように、彼らから罰を受けないように気をつけているようなもの。目に見える存在としては、それが自分より上の立場にいる人間だったりするけれど、その人たちもまた、その上の存在の目を気にしながら生きているわけで、そこからさらに上の存在へとたどって いくと、支配層の頂点にいる彼らの思惑通り行動しているということ。

何者かに従うのではなくて、常に自分自身の感覚に従うようになったら、本来の自分のまま素直にのびのびと生きられるのではないかと思う。

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