オリジナル小説 もう少しだけ生きてみようか 中編

オリジナル小説 エッセイ

自殺の名所と言われる場所へ

昨夜は、考えているうちに眠ってしまったらしい。外がすっかり明るくなってから目が覚めた。

死のうと決意するまで思い詰めていて、昨日はそれを実行しようとしたというのに・・・それでもまだ呑気に眠れるなんて。

昨日会ったあの女の人が誰なのかは、結局思い出せなかった。

今日もう一度同じ方法で死のうと試みるのは、どうも難しい気がする。昨日、想像していた以上に怖くてどうしようもなかった。

昨日の女性に貰った紙に書かれていたように、怖いということは本当は死にたくないのかもしれない。だからと言って、今の状況で、じゃあどうやって生きていくのかというと・・・その答えも見つからない。

「生きていくと決めたらそれが目の前に現れる」とか書いてあるけど、そんな魔法みたいなことが起きるとも思えないし。

話さなくても私の状況を分かってくれていて、アドバイスなのか励ましなのか書いてくれた気持ちは素直に嬉しいけれど。

生きるためのアイデアは湧いてこないし、今更もう引き返せない気がする。

今の私は、頭では、生きていく未来が描けないから終わりにしようと思っているけれど、思い切って死ぬ度胸は無い。多分・・・

それだったら、そういう場所へ行ってみるのがいいかもしれない。飛び降り自殺が多いと言われている場所は、いくつか知っている。そういう場所へ行くと、成仏していない魂が多く彷徨っていて、呼ばれるということがあるらしい。そういうことになったら、度胸が無くても死ねるかもしれない。

ビルの上からとかは、路面に叩きつけられることを想像すると恐ろしいし、もし下を通ってる人とか居たら迷惑どころの話じゃないし。恐ろしいには違いないけれど、橋の上から渓谷へ飛び降りる方がまだ良さそうな気がする。

私は、今度こそと思って遺書を昨日と同じ場所に置いて、鍵をかけずに部屋を出た。

持っている荷物は、昨日と同じ鞄一つだ。面倒なので中身も入れ替えず、そのまま持ってきた。あの女性から貰ったメッセージの紙も、カメラも、鞄に入っている。処分するのは目的地に着いてからでもいつでも出来るし。

自転車で行くには遠過ぎる場所だったので、今日は電車を使った。途中からは歩いて山を登った。

今日も朝から天気が良くて、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。鳥のさえずりが聞こえ、山桜も綺麗に咲いている。

ここで死のうと思っているのに、気が付いたら私は、景色の美しさに思わず感動していた。

「まあいいか・・・どうせ最後なら、汚い場所で死ぬより綺麗な場所の方がいいし」

冬は底冷えがして夏は蒸し暑い京都では貴重な、暑くなく寒くなく一番気持ちのいい時期がまさに今だ。こんな状況ではなくてただ楽しみに来たのなら、どんなにか心躍る外出になったに違いない。

今の状況を考えると、この気持ちの良さに決心を鈍らせられる気がしてあまり喜べないけれど。

心霊スポットのような内容を集めているサイトを見ると、ここは自殺の名所としても知られていた。最近までそんなことは知らなくて、景色は本当に綺麗だし観光地の一つだと思っていたけれど。

確かに、山の緑に映える朱塗りの橋から下を見下ろすと、目が眩む高さだ。それでも・・・天気が良く、時間帯が昼間だというのもあって、禍々しい気配は全く感じない。しかも思っていたより頻繁に人が通る。

観光地であることも間違いないし、山登りにも絶好の季節だからなのか。

少し離れた場所では、下の河原でキャンプをしているらしき数人のグループの姿も見える。もし今飛び降りたら、誰にも見られずに済ませるのは難しいと思う。

「人が通らなくなる時間まで、待つしかないか」

今は爽やかな感じしかしないけど、夜に近い時間帯になれば、例の「呼ばれる」という現象も起きるのかもしれないし。

目的地には着いていてこれ以上歩き回る必要も無いので、私は河原に降りて行って腰を下ろした。

橋の上でウロウロしていたのではいかにもあやしいし、人通りが無くなるまでここで待とうと思った。ここから見える範囲でキャンプをしているグループも居るし、河原で遊んでいる親子も居る。私が一人でここに座って寛いでいても、別にあやしくはないと思う。

朝から何も食べていないので、ものすごくお腹が空いてきた。水さえも飲んでいないので、たまらなく喉が渇いてきた。飛び降りて死のうと思ってたわけだから、食べ物とか飲み物のことなんか考えてなかったし。

飲用に適しているかどうかわからないけれど、川の水を手ですくって飲んでみると、水道水と違ってカルキ臭が無く、冷たくて美味しかった。飲用に適してなかろうが、今更健康のことを気にしたって仕方ないし。

ここに来た目的は、人生を終わりにすることなのに・・・空の青さや山の景色の美しさに感動し、春を思わせる草木の香りに癒され、吹く風の心地よさを肌で感じ、冷たい川の水の美味しさを味わった。

これから死のうと思っていても今生きていれば、喉も渇くしお腹も空いてくる。そんな時に飲んだ水だから、余計に美味しく感じたのかもしれない。

頭では「終わりにするしかない」と思っているのに「私は今生きている」という感覚を、ここに来て全身で味わっている気がする。

こんなに爽やかな天気で景色の美しい場所に居ると、決心が鈍りそうだから早く暗くなってほしいという気持ちもある。その反面、あまりにも心地良くて、この時間がずっと続いてほしいとも思ってしまう。

部屋の中で悶々と考えていた時はあんなに絶望的な気持ちになっていたのに、ここに居ると何故だか不思議と心が軽くなる。絶望的に見える今の状況だって、何とかなりそうな気さえしてくる。何の根拠も無いのに。

この前会った人と似ている この年配の女性は誰?

何をするでもなく、ぼーっと景色を眺めていてどれくらい時間が経ったのか。誰かがこっちに近付いてくる気配を感じて、私は振り返った。

年配の女性が、私の方に向かって歩いてくるのが見える。

私が振り返ったので目が合った。

「ちょっとすみません」

向こうから声をかけてきた。近くには誰も居ないし、多分私のことだろう。

近付いてきたのは六十代くらいに見える女性で、私は何となく見覚えがあるような気がした。この年代の知り合いは居ないし、どこで会ったのか・・・でも確かに知っている気がする。

そんなことを思っているうちに、その人は私のすぐ近くまで来て話しかけてきた。

「突然声かけてすみませんねぇ。山歩きで休憩中ですか?」

「まあそんなとこです」

まさか本当のことは言えないし、適当に話を合わせた。

「私も久しぶりに来たんですけど、欲張ってお弁当作りすぎてしまいましてねぇ・・・荷物重いし、もしよかったら半分手伝って食べてくれはります?それで声かけさしてもらったんです」

「そんなんいいですよ。悪いですし。交換する物も何も持ってないですし」

「それやったら気にせんといてください。こっちが勝手に荷物減らしたいだけやから」

私が一人だから、グループより声をかけやすかったのかもしれない。

まさか毒が入ってるとか無いだろうけど・・・親しくなって後で何かの勧誘とかの可能性はもしかしたら・・・だけど考えたら、今更気にすることでもない。

私は死のうと思ってるわけで、もし毒が入ってたら願ったり叶ったりのはず。何かに騙されたって盗られるお金も無いし。

何より、ものすごくお腹が空いている。、本音は今、何でもいいから食べたかった。

結局私は、お弁当をいただくことにした。

レジャーシートの上に並べられたお弁当の中身は豪華だった。高級な食材を使っているとかではないけれど、昔ながらの馴染み深いお惣菜が彩り良く並べられている。筍ご飯のおにぎりと筍の煮物を見て、そういえば筍の美味しい季節だと気が付いた。

他にも、自家製の漬物、筑前煮、ほうれん草のおひたし、卵焼き、焼き魚、果物、ポテトサラダなどが、竹籠の弁当箱の中に綺麗に並んでいる。

私は遠慮無く食べた。一度食べ始めると、空腹の限界だったのもあって食欲が止まらない。

食後には手作りの焼き菓子を食べて、水筒に入ったお茶やコーヒーもいただいた。お弁当もお菓子も飲み物も、どれも素晴らしく美味しかった。

食べ物で季節感を楽しむことも、そういえば長い間忘れていた気がする。

「すごく美味しいです」

お世辞でも何でもなく、私は素直にそう伝えた。

「よかった。喜んで食べてもらえたら私も嬉しいし、荷物が軽なって助かりました」

食べながら話している中で、彼女は料理が好きで山歩きも好きで、自分でも庭で野菜を育てたりしているというのを聞いた。

この人を見た時に「知っている」と思った理由は、話しているうちに分かってきた。昨日会った、あの女性にすごく似ている。パッと見た感じでは年齢が違うから分からなかったけど、話し方や声がそっくりだった。

そう思って見ると顔もかなり似ている。今目の前に居る女性は、髪が半分くらい白くなりかけているし皺もあるけど、顔立ちや背格好、生き生きとした目の輝きは昨日の女性と本当に良く似ている。

話している中で年齢も分かって、今年誕生日が来たら七十歳を迎えるらしい。見た目はもう少し若く見えるけれど、昨日会った女性より二十歳上ということか・・・もしかして昨日の人の母親とか?まさかそこまでの偶然は無いか。

気持ちのいい屋外で美味しい物を食べながら、山の景色の事とか季節の食材の事を話しているうちに、いつの間にか心が浮き立って楽しくなってきた。今抱えている問題は何一つ解決してないし、現実逃避なのは間違いないけど。

それでも今明らかに、生きている喜びを感じてしまっている。こんなことで本当に今日死ぬ勇気が出るのか。それを考えると今の状況はまずいなと思う。

「なんか考えごと?」

私の意識がちょっとの間上の空になっていたのに気がついて、女性が声をかけてきた。

「ごめんなさい。食べすぎたし眠くなったんかも。ごちそうさまでした」

「どういたしまして。よかったらこれも持っていかはりません?私はもうすぐ帰るし。まだもうちょっと散策しはるんやったら」

彼女は、さっき一緒に食べた焼き菓子の残りを指してそう言った。パウンドケーキの方を先に二人で分けて完食してしまって、クッキーの方がまだほとんど手をつけずに残っている。

これからやろうとしていることを考えたらお菓子なんか食べてる場合じゃないのに、私は断らなかった。すごく美味しそうだし。最後に少しぐらいいい思いしたってバチは当たるまい。自分に対してそう言い訳をして、お菓子を受け取った。

「ありがとうございます。さっきも私の方が沢山食べたぐらいやのに、クッキーまでいただいて」

「気にせんといてくださいね。作りすぎて家にもまだあるし」

日が暮れるのは六時くらいか・・・明るいうちに帰ろうという人は多いと思うし、多分彼女もそうだろうと思う。

お互い名前も知らなくて、今日この時限りの縁だと思うけれど、すごく心地よくて楽しい時間だった。

今のような状況じゃなかったら、たまには外に出て色んな場所へ行って、旅先でこんなふうに人と出会って・・・だめだ。こんな事を思っていると、終わりにする勇気が挫けそうになる。

「ここってこんなに綺麗な場所やのに、自殺の名所でもあるらしいですね。私も知らんかって、心霊スポットのこと紹介してるブログ記事見てつい最近知ったんですけど」

人生の悩みなんて無さそうなこの女性は、人生に疲れて自殺する人のことをどう見ているのか。私はちょっと知りたくなって、ふと思いついたように言ってみた。

「私も聞いたことはあるけど。そうらしいなあ。あの上から飛び降りたらまあ助からんと思うし。せやけど私らの歳になったら思うわ。なんも今急いで死なんでも、何年か何十年か、もしかしたらもっと早いかもしれんけど、待っとったら嫌でも死ねるのになあ」

ゆったりとした口調でそんなふうに言われると、体の力がフッと抜ける気がした。

「確かに。それはそうですよね」

死のうとする人を馬鹿にしているとかではなくて、本音で思うことを淡々と言っている感じ。嫌な気はしなかった。

彼女は帰って行き、私はそのまま河原に座っていた。

しばらくするとまたお腹が空いてきて、もらった焼き菓子は全部食べてしまい、川の水で喉を潤した。

さっき彼女が言った言葉が、はっきりと頭に残っている。だけどやっぱり今の状況を考えると、死なずに現状を打破する方法も思い浮かばない。

けれど次第にはっきりしてきた事は、頭では「もう終わりにするしかない」と思っているのに、自分の感覚がそれを拒否しているということ。

こうなったらもう一度あの橋の上に立って「呼ばれる」のを待つしかないか。

捨てられた子犬との出会い

夕暮れ時で辺りが少し暗くなり始めたこともあって、人通りも少なくなってきた。私は決意して立ち上がり、歩きかけた。

数十メートル歩いて道路に上がれる階段にさしかかった時、すぐ近くの草むらに、バサっと音を立てて何かが落ちてきた。

びっくりして上を見上げると、バタンとドアを閉めて車が走り去って行くのが見えた。あっという間だったので、白の車だったかな・・・くらいしか分からなかった。

さっき河原に居る時もいくつかゴミが目についたけれど、上からゴミを捨てる不届き者が時々いるらしい。暗くなった頃だと人通りも少なくて、見つかりにくいと思っているのかもしれない。

今ゴミを捨てていった車も、階段近くに居る私の姿は上からは見えないから、人が居るとは気が付かなかったのだと思う。

腹が立つけどとにかく片付けに行くかと思い、私は音がした方へ戻った。

ゴミ箱が近くにあったかどうか・・・そう思いながら近付いて見ると、上から投げ捨てられた紙袋が草むらの中に落ちているのが見えた。

さらに近付いていくと、その袋がガサッと動いた。

「え?!動いた?もしかして何か生き物とか?」

大きなムカデとか何か、怖いものだったらどうしようと思って私は思わず足を止めた。いきなり手で触らずに、棒かなんかでつついてみた方がいいかもしれない。

今から死のうと思っているくせに、またこんな事を考えてしまってハッとした。本当に死ぬつもりだったら、今更怖いことも何もあるわけないのに。

周りを見ても適当な木の枝などは見当たらないし、諦めて再び一歩踏み出した時、紙袋の中から「キューン」という鳴き声が聞こえた。

「え?もしかして動物?」

怖いものでは無さそうと分かると、私はすぐに行って紙袋を開いてみた。

紙袋の中にスーパーの袋のようなのが入っていて、中で何か動いている。

袋を手で破いてみると、空き缶や紙屑にまみれて生後1ヶ月くらいかと思える子犬が出てきた。

生きている命をこんなふうに捨てる人間が居るなんて。捨てた人間に対しては激しい怒りが湧いてきて、そいつの車も顔も見られなかった事が悔やまれた。

「良かった。まだ生きてて・・・」

子犬を抱き上げて、私は階段を上がった。

両親と暮らしていた頃は家に犬や猫が居たから、見れば大体年齢は分かる。

「犬用ミルクと、ドッグフードを買って・・・ふやかして食べさせたら大丈夫かな。怪我はしてないみたい。良かった」

アパートでは動物飼育禁止だけど、両隣も空室だし、バレなければしばらくは大丈夫か。里親を探すことも出来るかもしれない。その前にどうやって連れて帰るかだ。

「電車に乗ったらまずいか・・・とにかく早く連れて帰って、よく温めて、食べ物と飲み物をあげないと・・・」

頭をフル回転させて考えているうちに、私は死ぬことを忘れていた。

すでに夕暮れ時で、辺りはどんどん暗くなってくる。とりあえず車道まで上がって駅に向かって歩き始めたものの、電車で犬を連れて行けるかどうかは分からない。無理な可能性の方が高そうだ。

「移動用のケージでなら、まだ何とかなるかもしれないけど・・・」

それに今になって、早く帰らなければならない理由をもう一つ思い出した。部屋の鍵は開けっ放しで、遺書を置いてきている。

さっきまで犬のことで頭がいっぱいで忘れていたけれど、あれを早く片付けなくては。万が一誰か部屋に入って遺書を見つけたりしたら、きっと大騒ぎになる。電車でゆっくり帰ってる場合じゃないかもしれない。

「こうなったらヒッチハイクか。車は時々通るし」

仮に誰か止まってくれたとしても、相手がどんな人間かわからないし危険というのはもちろんある。でも、さっきまで死のうとしてたくらいだから、今更危険も何も無いと思うし。

通り過ぎる車に、私は片っ端から身振り手振りで合図を送ってみた。

けれどそう簡単にうまくはいかない。知らん顔で通り過ぎていくか、少し速度を落としてチラッと見はするものの、やはり通り過ぎていく。怪しい奴だと思われているのかもしれない。

知らない人の車に乗るのは勇気がいるのと同じで、乗せる方だって勇気がいると思う。女だからといっても、女でも強盗をはたらくようなヤバい奴はいるわけだし。

行き先を書いた紙でも持っていればいいのかもしれないけど、筆記用具も何も持っていない。

時間だけが過ぎていき、イライラと気が焦ってくる。少しでも駅に近づく方向に歩きながら、私は車が通るたびに合図を送った。

「私が怪しい奴と思われても、この子を見たらもしかして止まってくれるかも・・・」

そう思いついて、胸に抱いていた子犬をよく見えるように顔の前くらいに掲げて歩いた。

ヒッチハイクに成功

最初に来た一台は、チラリと見たけど通り過ぎていく。

「ダメか・・・」

二台、三台通り過ぎて行き、腕が疲れてきた。

もう無理なのかと諦めかけた時、軽トラックが止まってくれた。

「助かった・・・」

私は子犬を再び胸に抱いて走り寄った。相手の気が変わらないうちに何とか繋ぎ止めたい。

「止まってくれはってありがとうございます!怪しい者やないんで」

自分で言ってから、最近どこかで聞いた言葉だと思った。山道で迷った女性が、私に向かって同じことを言っていたのをふと思い出す。本当に怪しい者だとしても自分で言うわけないのに。私はとにかく必死だった。

運転席に居るのは中年の男性で、同乗者は居ない。 荷台にはスコップとか脚立とか色々な道具が積んであり、仕事帰りかと思う。

「もし方角一緒やったら、行けるとこまででいいんで乗せてもらえませんか?この子が捨てられるとこに出くわして、連れて帰りたいんです。来る時は電車やったんで、電車は動物乗せられへんと思うし・・・」

ここへ自殺しに来たとはまさか言えない。それこそ怪しまれるに決まっている。もし聞かれたら、写真を撮りに来たとか言えばいいか・・・などと考えでいるうちに、彼は助手席のドアを開けてくれた。

「どうぞ。どこまで行く?」

「ありがとうございます!」

私はすぐに乗り込んだ。この人はぶっきらぼうだけれど、何となく安心出来ると直感的に思った。

私のアパートの場所を伝えると、偶然にもかなり近かった。

子犬は彼の方を見て、パタパタと尻尾を振った。

「生まれて一ヶ月ぐらいか。かわいいなあ。けど動物連れて行って大丈夫なん?」

「反対する家族とかおらんし、アパートでは禁止やけどちょっとぐらいやったらバレへんと思うんで。これから急いで里親探すし、その間だけ」

言ってしまってから、一人暮らしである事やアパートの場所を、知らない男性に平気で教えてしまっていることに気付いた。私は普段どちらかというと、用心深い方なのに。

子犬を連れて帰るために必死だという事もあり、自殺を考えたほどだから今更何か恐れても仕方ないという事もある。でもそれだけではなくて、言葉ではうまく説明できないけど感覚的に「この人なら大丈夫」と思っていた。

私は内向的な性格なのに、この人とは初対面でも全く緊張しなかった。彼は最初から私に対して敬語を使わずに話したけど、馴れ馴れしい感じは全然無い。こっちも自然とリラックスして、気が付いたら敬語無しで話していた。

最初は、私は山歩きにしてはほとんど手ぶらだし、怪しまれて色々聞かれたら何と言おうかと考えていたけれど、その心配は無かった。ごちゃごちゃ詮索する人ではなかったから。

犬を見たら放っておけなかった事や、子供の頃は家で動物を飼っていたから馴染みがあるという事を私は話した。

彼も動物は好きで、長年居てくれた犬が最近死んだことを話してくれた。

今はまだ辛くて、新しい子を迎える気がしなかったという。その気持ちはすごく分かる。私も経験があるけど、別れはやっぱりとても辛い。

彼の住んでいるアパートはペット飼育可で、犬、猫、ウサギなどと一緒に暮らしている人が居るらしい。私の所も大家さんはいい人だしその点は文句ないけど、ペット飼育は不可だから、羨ましい環境だなと思う。

今住んでいるアパートが数ヶ月先には取り壊し予定だということも、私は話した。

「そんな状況やから両隣も人おらんし。ちょっとの間犬がおっても見つからんとやり過ごせそうな気するわ。これから頑張って里親探すけど、もし里親見つからんかったら、どうせ今引っ越さなあかん状況やし、次はペットO Kなとこ探してこの子と一緒に住むわ」

彼に向かってそんなことを話しながら、私はふと気が付いた。

そういえば、今日の今日まで自殺するつもりだったのに。いつのまにか生きる前提で話している。

話しているうちに、何の根拠もないけれど不思議と何とかなりそうな気がしてきた。そうか・・・もしかしてこういうのが、あの女性からもらったメッセージの意味?「生きるとはっきり決めたら、その方法はあとから出てくる」とかいう・・・読んだ時は「そんな簡単にいくか?」と思ったけど。今は、何故か本当にそうなりそうな気がする。

彼も私と同じく独身で一人暮らしだった。年齢は多分私より一回りくらい上かなあと思うけど、見た感じも確かに、家庭を持つ人というより自由人的な雰囲気はある。両親は健在で綾部に居るけれど、自分は仕事のために京都市内に出てきて住んでいるということを話してくれた。

植木の剪定作業を仕事とする自営業者で、仕事の内容によってはバイトを雇うけど社員は居なくて、基本一人でやっているらしい。

なるほど車に積んでいる道具はその仕事用で、思った通り今日も仕事帰りだった。

途中でコンビニに寄ってもらい、ドックフードと牛乳を買った。犬用ミルクは無かったし、とりあえず今日はこれで間に合わせようと思う。

子犬は、助けてもらったことを知っているのか車の中で暴れることもなかった。私と彼の顔を交互に見て元気よく尻尾を振り、時々私の手をペロペロ舐めた。

改めて顔をよく見ると可愛いし、人懐っこくて愛嬌がある。これなら里親も早く見つかるかもしれない。車酔いもしない子のようで助かった。

アパートの前まで送ってもらい、私はお礼を言って車を降りた。

外はもうすっかり暗くなっていて、人に見られたくない今はその方がありがたい。

彼は、犬のことで何か困ったことがあったらここに連絡をくれたらいいと言って連絡先を教えてくれた。もし犬を置いていることが見つかりそうになった場合は、自分がしばらく預かるとまで言ってくれた。一人で何とかしなければと思っていたので、本当に心強い。

彼の名前と昨日会った女性の名前 これは偶然?

彼がメモに書いて渡してくれたのは自宅の電話番号と「藤村」という名前だった。

「あれ?この名前、最近どこかで見たような・・・」

と感じて、しばらく経ってから思い出した。昨日、道案内のお礼にとお茶をご馳走になった家だ。あの女性の家の表札。

「もしかしてあの家の家族とか?いくら何でもそこまでの偶然は無いか」

別に珍しい姓でもないし、たまたま同じ名前なだけかもしれない。

それに、あの家はご夫婦と息子さん一人のはず。写真で見たご主人はかなり年配だった。おそらく六十前後くらい。今日会った彼は、年齢は聞いてないけど四十そこそこに見えた。年齢からして違いすぎる。

だけどそういえば・・・写真で見たあの家のご主人と、今日会った彼は似ている気がする。写真の方はあの時ちょっと見ただけだし、はっきりは覚えてないけど。

まさかとは思うけど親子とか?それとも親戚とか?、いや・・・違うか。彼のご両親は綾部に居ると聞いたし、この近所に住んではいないはず。

そういえば昨日会った女性と、今日の昼間会った女性も、年齢は全然違うのに妙に似てたし。

この二日間何だか不思議なことが多い。カメラの中にフィルムが残ってるし、あとで現像してみようと思う。

「他の誰かに見せるわけじゃないし、私が確認したあとは処分すればいいか」

車を降りてから部屋まで、うまい具合に誰にも会わずに行けた私は、子犬を畳の上に下ろした。紙皿に水を入れて子犬の前に置き、ドックフードを開けて牛乳に浸けておく。

吠えることもないし、この感じだと近所にも見つからずやり過ごせそうな気がする。

子犬は水を少し飲んだあと、興味津々で部屋の中を嗅ぎ回っている。

その間に私は、部屋の中の目につく場所に置いていた遺書を拾い上げ、破ってゴミ箱に捨てた。

これからどうやって生きていけるのかは全く分からない。だけど、生きようと決めた。具体的対策は何も思い浮かばないけれど、それでもとりあえず何とかなるはずという根拠の無い自信がいつのまにか湧いてきている。

ドックフードが程よく柔らかくなったので与えると、子犬は健康な食欲を発揮してくれた。

食欲を満たして満足するのを待ってから、私は子犬を風呂場に連れて行ってお湯で洗った。汚れが落ちてさっぱりすると、黄金色の毛に覆われた体はとても美しくなった。

里親を探すためには写真を撮らなくてはと思い、カメラを取り出して数枚撮影した。

でも考えてみると、ここに犬を置いていることはバレてはいけないわけだし、この住所で堂々と広告を出すわけにもいかない。

「自分用の電話とか無いし。方法としては貼り紙かポスティングで、ここに直接来てもらうしかないけど・・・」

そんな貼り紙やチラシが大家さんとか近所の人の目に触れたらまずい。じゃあ遠くまで行って貼り紙やポスティングをするかと考えてみても、遠い地域からわざわざ人が犬を見に来てくれるのか?と思う。

「車持ってる人やったら可能性無くもないけど・・・」

色々考えているうちに、今日家まで送ってくれた藤村さんという男性のことを思った。

「連絡先くれたんやし、電話しても大丈夫なはず」

困ったらすぐ人に頼るのはいかがなものかと思いながら、他にいい方法も思い浮かばなかった。

とにかく今日は寝ようと思い、私は犬を抱いて布団に潜り込んだ。

今日は私にとって、ある意味特別な日なのかもしれない。一度は死のうと思って、でもやっぱり生きようと決めた日。

子犬の体温と心臓の鼓動が伝わってきて、心も体もフンワリと緩んで癒されていく感じ。私がこの子を助けただけじゃなくて、私もこの子に助けられたんだと実感した。

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