新しい体験を作っていく意味

自営業者の日常雑記

毎日がただの退屈な繰り返しになると「何か劇的な変化や刺激が無いと楽しめない」という思考になってしまう。

毎日長時間働いて疲れているし何も考えたくなくて、見ているだけで楽しめる完成されて与えられた楽しみに流れてしまうことも多くなる。

お金を使うとなると、数社の大企業が作った「楽しみ」のためで、買い物をするのもそこで、働くのもそこかそこの下請けという人が多くなるほど、数社の大企業にのみ富が集中する。

そして、そこだけでお金が回っている→中小零細企業の個性的なお店はどんどん潰れていく。こういう現象が起きてしまう。

数社の大企業のみが頼りの人生で、そこが無くなったら途端に今日から困るという状況や、どこを見ても同じような物や体験しかない没個性の世界って・・・楽しいか?と思うけど。

庶民同士のつながりがあって、小さな個性的な商いが沢山あって、遊び心のある日常があった時代。日本には江戸時代までこれが存在していたのに。今だって、本当はできると思う。

例えばだけど、田舎暮らしは「初めて」に満ちている。私の場合は、子供の頃田舎育ちとはいえ、それから街中に出てきて四十年くらい経ってたので、田舎暮らしに関してもう忘れている部分も多かった。それが、ここに来てから、見た事の無い植物との出会い、見た事の無い虫との出会い、オーナーさんから聞く生活の知恵、貸してもらった植物に関する本の内容など。

日々何か新しい事を知ったり、面白い事が起きたりする。面白い事には失敗も含まれていて、最近では草刈りに行って山蛭にやられたり、バーベキューの火を起こそうとしたらここ数日の雨で木が湿っていて四苦八苦したり、散々なこともあるけれど、それはそれで。失敗と言うより経験かも。それで色々知る事が出来て「次はこうやってみよう」と思う。

これは一つの例で、田舎が好きじゃ無い人もいるし人それぞれ。本当は、誰も皆んな、自分の好きな環境、したい体験というのが必ずあるはず。だからその体験をするために生まれてきたわけで。

毎日がただのルーティーンになって、起きないといけないから起きて自動的に身支度をして自動的に食べて、行かないといけないから自動的に仕事に向かい・・・帰ってきてもまた自動的にシャワーを浴びて自動的に食べて、なんとなくスマホを見て明日仕事だから寝ないと・・・といった話もよくお聞きするけれど、それが「体験したかった事」という人は、そんなに多くないんじゃないかと思う。そういう方向に意図的に向けられているという事も、他の記事で何度も書いてきたけれど。

日常の中で、自分が一日一日何を感じ、何を体験しているか、思考停止のルーティーンではなくて一つ一つ意識してみると、その中で何か気が付いて、小さな「初めて」を少しずつ入れてくことで、人生の流れはゆっくり変わり始めるかもしれない。

根本的に人生がつまらなくなる原因がはっきりしている場合は(例えば仕事が嫌で仕方ないとか、パートナーや親など同居している人とうまくいっていないけど仕方なく一緒にいるとか)、根本原因となる部分を変えていく(そこから離れるとか)というのは存分に大きな変化で、初めての経験だったり冒険になると思う。

「でも変えられない」というのは、そう決めている自分の思考がそのタイムラインを選択しているだけで、変えられないと決まっている事など存在しない。

「お金の事を考えると・・・」というのも、もっとお金が無くても変化を選択している人は居るし、その人が何か特殊な才能があるのかというとそういうわけでもない。考え方が違うから作る現実が違うだけ。これは、人と会う機会が多いと紛れもない事実として見えてくること。

年齢が何歳だからもう今さら・・・という思考も要らないはず。新しい体験をするのに年齢は関係ない。むしろ新しい体験を取り入れる事で、精神的にも肉体的にも活力が満ちてくるし、逆に「もう年だから」を繰り返していると、自分に向けたその言葉に対応して精神的肉体的に衰えが加速する。

「つまらない日常」「退屈な日常」から離れて「非日常の体験を!」というので、作られた楽しみも色々と宣伝されていたりするけれど。そういうのに頼らなくても、日常そのものが楽しくなればその方がいい。余分なお金もかからないことが多いし、自分オリジナルの工夫や創作の方が、与えられたものを受け取るだけより百倍面白い。

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