知っている事と、影響を受けることは別もの

世の中の仕組みについて

世の中の状況を眺めていると、不穏なニュースが多い。テレビを一切見なくても、たまに聞こえてきたり目に入ってくるけど。それが全部自然現象で、これからもどうなるか分からないと思うと「不安」「怖い」と思うかもしれない。

けれど、それが全部意図的に起こされている事で、計画的に、着々と、どこへ向かおうとしているのか分かっていると、何を見ても全部そこへ向かう布石だとわかるから「ああまたやってる」としか思わない。その方向(デジタルIDによる完全管理監視社会)へ引っ張られないと決めたら、そういう世界を体験する未来ではなくて、じゃあどういう体験がしたいのか決めて、そっちにフォーカスしていく。

これは、意図的な計画、向かわされている方向を知らなくて「物事を悪く思っていけないのです。何でも良いように考えましょう」というのとは明確に違う。何が起きているか知っていて「その体験はしない。そっちに行かない」と決めるのと、見たら何となく嫌な気分になりそうな事は出来るだけ見ないよう知らないようにして「何となく楽しいことを考えていれば大丈夫」は全然違うわけで。

不穏なニュースを見て感情を揺らされる人が「怖い」「不安」と思うのは何故かと考えると、自分よりもずっと強大で力のある存在(社会的地位や権力のある存在、立場が上の存在)が居て、ちっぽけな自分ごとき人間がそれに逆らえるわけがないとか、その彼らが決めた事には抗う術がなく飲み込まれていってその体験をするしかないという思考だからかと思う。「世の中全体が動く方向には逆らえない。自分には選択の余地が無い」と思っているということ。

そもそも「偉い人」とか「上の人」というのは存在しないわけで、そう見せておきたい彼らが設定した幻想。彼らはそれを信じさせるための思考操作を続けているだけ。彼らに大きな力があり、彼らが居てくれるからこそ社会が混乱せず正しく回っていると信じて、恐れ敬う思考の人が大多数という条件の中でしか成り立たない。多くの人がそれを知って誰も恐れなければ何の効力も無くなる。圧倒的に人数が多い人達を、ごく少数が管理しようとすれば、思考操作しか方法は無い。「上の立場の人達が居て治めてくれるから庶民が生きていける」というのは刷り込まれた思考で、彼らが居なくても本当は何も困らない。

生きるという事は生活するという事で、生活をするための全てを支えているのは一般庶民だから。彼らが居なくなったら一般庶民が困るのではなく、一般庶民がいなくなって困るのは彼らの方。土台を支えている大多数の庶民が、彼らを敬わなくなり恐れなくなり離れていったら、ピラミッド型のシステムは一瞬で崩壊する。支えを失った頂点に居る存在は、そこに留まって居られなくなる。その事を絶対に知られたくない彼らは、知られる前に完全管理監視社会を完成させようと頑張っているけれど、急ぎすぎてボロが出まくっているので、今多くの人が「何かおかしくない?」と言い始めている。ひとたび疑問を持てば、調べ始める人も出てくる。それもさせたくない彼らは、大多数の庶民が「長時間働いても貧しくて日々忙しくて時間がなくて生きていくだけで精一杯で何も考えられない状況」を意図的に作ってもいるけれど。

人間(その他の存在も全て)は、今の肉体が本体ではなく、本当は意識存在。元々は一つの意識から分かれて今の体験をしているわけで(ワンネス)全ては波動エネルギーで出来ている。上の立場も下の立場も本来存在しない。この事から考えても、何者かを恐れる必要は無いし「偉い人」「上の人」に頼ったり敬ったり、逆らわずついつていく必要も無いし、自分という存在が「自分のしたい体験すら何も決められない弱くて小さな存在」ではない事が分かる。

恐れたり不安に思うから感情を揺らされて操作されるわけで、知った上で恐れなければ、この人生で行きたくない方向に巻き込まれそこでの体験をするような事は起きない。

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