因果応報を願う気持ち、復讐したい気持ち

自営業者の日常雑記

身近な人間関係で、誰かに裏切られた、酷い扱いを受けた(被害者が自分又は、自分以外の誰かという場合も)という時、このブログのタイトルにあるような気持ちになる事は、多かれ少なかれ誰しもあると思う。身近な人間関係以外でも、世の中全体に関して、悪事を行なっている存在に対してそういう気持ちになるという人もいると思う。

こういう時「人のことを悪く思ってはいけないのです」「すべての存在を愛さなければいけないのです」とか言われたって「はぁ?!」ってなりますよね。その気持ちもすごくわかります。

じゃあ、丑の刻参りとか呪いの儀式とか、もしくはもっと直接的方法で、憎い相手をやっつけるとか、その人に災難が降りかかるよう一生懸命イメージするといいかというとそれはちょっと違うかなと思う。「悪い事をしている奴が幸せであるのは許せない」という気持ちはあるかもしれないけど、因果応報的な(客観的に見ればそう見える)事は、あなたがそれをわざわざ願わなくても自然に起きるから。

ワンネスという事から考えると(全てが一つの意識存在)、他人を激しく傷つけるといううことは(人間以外の存在や天地自然に対しても)すなわち自分を傷つけているということ。.

身近な人間関係なら、例えばAさんが、精神的肉体的どちらであってもBさんを日々虐めたり傷つけて「自分は攻撃する側。強い存在」とご満悦であっても、傷つけられる側の体験もすることになるという感じ。

「他者を傷つける」は精神的な意味の場合もあるけど、物理的なやり方に例えると、AさんがBさんに対して、鋭利な刃物で何度も切り付ける。Bさんが血まみれになって倒れる。ふと気がつくと、立っているAさんの目の前には鏡があって、刺し傷だらけで血まみれの自分(Aさんの姿)が写っている。「え?相手を刺したつもりなのに何で自分が・・・」と認識した途端、ものすごい痛みが襲ってくる。言葉でうまく伝えられないかもしれないけど、何となくこんな感じ。

一つの意識だという事は相手の体験は自分の体験でもあるわけで。他者と戦って、強い方が弱い方を傷つけ、虐げ、支配するのは当然、勝ち負けを競うような波動領域に共振するという事は、勝った方負けた方どちらであっても、その世界で両方の体験をする(そういう波動領域に共振し続けてそこでの体験を続ける)という事。

それが(傷つけられる方の体験が)全く同じ形でやってくる事は少ないし、時間差もあるから、すぐにはわからなくて「今目の前の状況」だけを見ると、攻撃している側だけがおいしい思いをしているように見えるかもしれないけど。色んな人の例を見たり、ある程度の長い期間見続けていると「やったもん勝ち」は無いなと思う。

一般的によく信じられているような、死んだら神様から審判が下されて「あなたはこういう悪いことをしたから地獄行きです」とか、そういうのではないと思うけど。

世の中全体の事に関しても、支配層の頂点に居る存在から降りてきた命令に従って他者を傷つけている存在達(一般庶民よりは上の立場)に対して「ヒーローが現れて奴らを倒してくれますように」とか「神の裁きが奴らに下りますように」とか一生懸命願ったり「自分がヒーローになって奴らを倒すんだ」とか意気込まなくても・・・身近な人間関係で起きるのと同じことが、ここでも起きるから、放っておけば勝手にそうなると思う。

自分より上の存在の命令を聞いていれば、自分だけは酷い目に遭わないで済むという不安恐怖からの保身とか、自分だけはおいしい思いが出来るという欲望で、一般庶民に対して残虐非道な行いをしていても、ふと気がついたら「グサグサ刺しているのは自分だった」というわけで。それを支配層の頂点の存在によって知らされて、その時の恐怖と絶望の入り混じった感情は、支配層の頂点の彼らが最も好むエネルギー。「自分は庶民より上の立場」だと思っていた存在達は、言ってみれば彼らの餌になるということ。

そういう波動領域に共振して、そういう体験をするというのも、その人たちが選んだことだから「どうぞ存分に体験してください」ということ。

放っておいても勝手に起きることをわざわざ頑張って願うと、そこにフォーカスし続けるという事で、そこの波動領域に自分も引っ張られる可能性が高くなる。なので、そこにあまり意識を向けすぎるのはやめて、そこは放っておいて、自分の体験したいことの方にフォーカスを向ける方が、自分の楽しい現実を創造出来る。

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