「お金さえあれば自由に生きられる」と思っている人は多い。
そう信じさせるような刷り込みに、物心ついた頃からずっと晒されてきたら、当然そう思ってしまうけれど。
お金の価値そのものが変化したり、意図的に減らされる事が行われれば、多少人よりも持っていたとしても一瞬で状況は変わってしまうのに。
お金だけに頼らないと本当に生きていけないのか?お金というものが存在しなかった頃まで歴史を振り返ってみたり、その後、世間一般的にお金を使うようになってからでも、今ほどそこに頼りきりでなかった近い過去の暮らしを振り返って考えてみると色々見えてくる。
住むだけでもお金がかかると今は思われている。街中への人口集中、核家族化、一人暮らしも増えて、住宅ローンや家賃がかかる。
代々引き継いだ家に三世代くらい同居で、家の造りも頑丈だった頃はそうではなかった。
今の家は、二十数年しか持たずにあちこち不具合が出てくる。
ローンがまだ残っているうちにリフォームが必要になって更にローンで支払う事も。
生きるのに欠かせない食べ物のことを見ても、地元で第一次産業に就く人は減り、自分達で食べるために田畑で農作物を作ったり伝統的な保存食を作る家も減った。
小さな個人商店はどんどん姿を消して、中間流通マージンが上乗せされて価格も高くなる大型店舗での買い物が当たり前に。
趣味、遊び、楽しみも、既に出来上がったものに対してお金を払って楽しむ形しか無いので、またそこでお金がかかる。
体の不調を抱える人は増えて、医療費が常にかかる。
老後は寝たきりになる人が増えて、またお金がかかる。
どれも、わずか数十年前と比べても、今ほどひどくになかった。
衣食住に関して、お金を払って手に入れるのでなく、自分で作れる物は作るとか、必ずしも一緒に住まなくても気楽に行き来できる範囲で、気の合う人とつながり、お互い出来ることを提供しあうとか。
遊びや楽しみも、日々の生活の中から作り出すとか。
たまに体の不調や怪我などあっても、自然治癒力に任せて、昔から伝わる民間療法を利用するとか。
やり方は色々ある。
生きている事全てに関して、何もかも、即、お金を払って手に入れる以外方法が無いという発想だと、そこから永遠に抜け出せない。
そのお金を得るために無理してでも長時間働く→時間が無い→心身共に疲れて人と知り合う時間もエネルギーも無い→孤独→何もかも一人で何とかしないといけない→心身の疲労から病気に→医療費でまたお金がかかる→さらに無理して働く
このループになってしまうことも、意図的にそちらに追い込まれていると知った方がいい。
「そんなに苦しいなら助けてあげましょう」と、差し出されるのは、ベーシックインカム、デジタルIDによる完全監視管理社会。
自由に生きることから最も遠い体験をすることにつながっていく。
歴史の中からも学べる生活の知恵と工夫、自分の中から湧いているアイデア、人との繋がりがあれば、それとは違う体験が出来るはず。
