趙国が、突然秦国の馬央に攻め入った。その時秦国は二十万の兵を出して韓を攻めていたので、秦国には兵力が残っていない。秦国側は、趙国には今軍を率いる将軍がいないから攻めてくる事はないと思っていた。
軍の総大将は龐ケン。その裏にいるのは李牧だった。長平の戦い以降秦国に対して強い恨みを抱いている趙国軍は、馬央とその周辺で虐殺のかぎりを尽くした。
軍総司令の昌平君は、秦国軍総大将の役目を王騎将軍に依頼した。自分が総大将だと思っていた蒙武はこれに不満を表したが、昌平君の決定は変わらなかった。
理由をつけて嬴政と二人になれる時間を作った王騎は、昭王からの遺言を伝える。自分が仕えるに値する王にのみ伝えるようにと昭王から預かっていた遺言は、嬴政の父も聞かされていなかった。王騎は、嬴政と共に中華を目指す決意を告げた。
四ヶ月かけて無国籍地帯を平定した信は、百人将としてこの戦に参加する。二十の伍からなる百人隊だ。尾兄弟もそれぞれ伍長になっている。仇が魏から趙に移動していたので趙へ行くために、羌カイもこの戦いに参戦する。信と共に修行していた渕と、羌カイが副長になった。
この戦いは、王騎と龐ケンの戦いでもあった。昌文君が、今まで隠していた過去の事を語り始める。九年前、六大将軍の一人であった摎は、龐ケンによって殺されていた。摎は王騎の妻になるはずの女だった。
軍師学校の生徒である貂と蒙毅は、他三人の者達と一緒に、安全に戦を見る事ができる古い山城跡に来ていた。ここで実戦を見て学んでいく。秦国軍副将の蒙武は蒙毅の父親だった。
一日目。戦いが始まり、信の百人隊は重要な役割を王騎将軍から命じられる。それは、両軍が戦っているところに側面から突入し、敵の将軍馮忌の首をとってくるいうものだった。信は、無国籍地帯での経験を活かせばこれは可能だと考え、引き受ける。
王騎は、信の隊に、飛信隊という名を与える。
敵兵に見つかりそうなところを羌カイが助けた事もあり、飛信隊は狙った場所までたどり着いた。あとは力で押していくだけとなったところで、なかなかそこからが進まない。この状況を打破するため、少ない人数をさらに二つに分ける。自分達は命を捨ててもいいという覚悟の、隊員達側からの提案だった。
信は、ついに馮忌の首をとった。干央は、飛信隊信が趙将馮忌の首を討ち取ったと高らかに告げる。隊が名を与えられる意味・・それは、その名が味方にも敵にも知られていき、一瞬でも中華全土に広がり知れ渡る。それを何度も繰り返すのが、天下の大将軍への道。
戦い二日目、三日目とも、蒙武軍が、趙国側の予想をはるかに上回る圧倒的な武の力で攻め込んでいく。四日目を迎える前、趙国側もこれに対し策を練った。翌日、始まりは昨日までと同じと見せかけて、秦国側に油断させたところで全軍で蒙武を討つというものだった。
四日目、王騎は五軍を全てを蒙武に預けた。全軍を率いて敵本陣を攻める蒙武。これは趙国側も予想していなかった。ここで趙荘は本陣を動かす。この後退に、王騎は策のにおいを感じていた。王騎もここで本陣を動かす。
その夜、秦国側の夜営地に龐ケンが一人で現れた。たった一人で守備の一隊を全滅させてしまう龐ケン。飛信隊の隊員達も、多くの者が命を落とす。信と羌カイが二人で龐ケンに立ち向かうが、羌カイの剣でもかわされてしまい、信は弾き飛ばされて気を失う。
龐ケンと羌カイが対峙する。深く呼吸を落とす羌カイ。